辻占雑記帳

遠月堂の引札

本日、国文学研究資料館(立川)の「日本実業史博物館コレクションデータベース」で辻占関係の史料を探索してみたところ、遠月堂縁谷の引札「菓子屋引札」(史料群番号37TI、請求番号0151、枝番0000)がヒットしました。画像を含む引札のデータはこちらから…

『明嬉今朝之辻占』

虎屋文庫さんのHPで連載している「歴史上の人物と和菓子」のコーナーで『淡島寒月と辻占』というタイトル(2014年12月16日掲載)で遠月堂の辻占煎餅が取り上げられていました。↓ https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/166/ こ…

乃木将軍と辻占売 その3

その後の今越翁ですが、弟は孤児院に預けられ、妹は生母に連れ去られ、祖母は心労が元で亡くなり、とうとう天涯孤独の身になります。 かねてから誘いがあった殿町の金箔屋に年期奉公に入り、7年の修行を経て京箔(京都の金箔造り)を学ぶために金沢を後にし…

乃木将軍と辻占売 その2

今越翁は、幼時辻占売をして家計を助け、長じては金箔職人となり、精進の結果、昭和41年に滋賀県の無形文化財第一号に指定された方です。(昭和49年3月没) 以下、今越翁の口述伝から辻占売の記述を抜粋して紹介します。*1 ・加賀前田家で御殿の料理方…

平凡社の東洋文庫608『柴田収蔵日記2』に辻占昆布と辻占本(占書)らしきものに関する記述がありましたので紹介します。柴田収蔵(1820−1859)は新潟・佐渡出身の洋学者で身の回りの出来事や金銭の出入りを記録していましたが、嘉永3年(1850)に書かれた…

月岡芳年の描いた辻占菓子

幕末から明治半ばにかけて活躍した浮世絵師・月岡芳年が明治13年に出版された『霜夜鐘十字辻筮』(五編中)の見返しに辻占煎餅の絵を描いている(画像) 辻占煎餅の入った竹籠、煎餅、辻占紙片が描かれ、左上に「大蘇よし年画」とある。月岡芳年は明治6年以…

乃木将軍と辻占売 その1

東京赤坂・乃木神社脇の公園に「乃木将軍と辻占売」の銅像が建てられている。(画像)説明板によると、明治24年、乃木希典が陸軍少将の時代、用務で金沢を訪れた際に、辻占売を営みながら一家の生計を支えていた今越清三朗氏(当時8歳)と出会い、その境…

あぶり出し辻占人形の占紙

画像は、4月30日に紹介した「あぶり出し辻占人形」の占紙。 右端に「大々吉 何事も思ふ通り成就す」、右手上に「願ひ事書く所」、左手上に「あぶり出す所」、左端に「一番」(通し番号)と記されている。 占う前から結果がわかるという、考えようによっては…

あぶり出し辻占人形

画像は昭和10年代?の紙製の玩具セット。ラベルには「夢の判断と十六ゲーム あぶり出し 辻占人形」とある。問屋のデッドストック品で、軍の慰問用の紙玩具と一緒に出てきたというから、やはりそれ向きだったのか。辻占占紙は舞妓や花嫁の人形の懐に挿されて…

吉原の辻占菓子売

吉原の辻占菓子売 辻占本『はうた辻占せんべい』の序文には、吉原の辻占菓子売の絵(画像)が添えられている。顔は見えないが服装から成人の男性が、辻占売につきものの提灯の代わりに「辻占」と書いた扇子を持ち、「辻占せんべい」と書かれた箱を肩から下げ…

遠月堂の辻占煎餅と『はうた辻占せんべい』のおまけ画像

『はうた辻占せんべい』の表表紙の見返しの画像。 水引をくぐるような感じで遠月堂の商標から「はうたつちうらせんべい」という文字が立ち昇っている。左下の源氏香図文「葵」は、徳川将軍家の家紋→メイド・イン・江戸を連想させる。

遠月堂の辻占煎餅と『はうた辻占せんべい』(辻占本)

遠月堂の辻占煎餅と『はうた辻占せんべい』(辻占本) 2008年3月16日の辻占雑記帳「辻占煎餅と大黒煎餅」で、上田市立図書館花月文庫所蔵の『は唄恋の辻うら』について言及したが、この度、同一本と思われる『はうた辻占せんべい』を入手した。 序文は甲南女…

辻占尽の値段

辻占尽の値段 辻占菓子売は辻占尽をいくらで購入したのだろう? 明治20年に作られた辻占尽『さはや板 しん板辻占』(写真)の欄外には、「定価五厘」とある。当時の葉書の価格(1枚1銭)を参考に現在の価格に換算すると、「定価25円」となる。 この辻…

辻占菓子売の業態

辻占菓子売の業態 私見ではあるが、辻占菓子売の業態を以下の3タイプに分類してみた。 1.メーカー直売 3月22日にも取り上げた深川六間堀山口屋の「辻占入りかりんとう」が典型。「本家山口屋かりんとう」の提灯を持った売り子が毎夜、東京の町中を流し売…

「辻占売」のはじめに

「辻占売」のはじめに これまで見てきたように、世間一般では辻占菓子、辻占占紙を行商する者を区別することなく「辻占売」と呼んでいた。購入者としては、最低限辻占文句を書いた紙さえ手に入ればよかったので、両者を分けて呼ぶ必要がなかったのだろう。こ…

絵師の暮らし

絵師の暮らし 明治34年3月発行の『文芸倶楽部』*1に、菱花生という方が「浮世絵師」という一文を寄せており、当時の絵師の暮らしぶりが報告されている。参考までにその一部を紹介しよう。 1.絵師が入門して独り立ちするまで <入門>雑用6ヶ月 ↓ <敷…

地口絵と辻占絵

地口絵と辻占絵 今日の辻占で取り上げた地口行灯。一見すると絵柄が辻占絵と似ていることに気付かれた方も多いだろう。鈴木棠三編『ことば遊び辞典』を参照しながら、地口絵と辻占絵の違いについてまとめておきたい。 1.目的 地口絵 稲荷神社の初午祭へ奉…

第二次大戦後の辻占占紙

第二次大戦後の辻占占紙 戦後の混乱期、辻占占紙は困難に直面した。紙は統制品となり、人々は日々の暮らしでせいいっぱい。辻占売から占紙を買うゆとりなどなかった。また、戦時中の「神国日本」の反動からか、戦後、日本人の信仰心は希薄になり、辻占そのも…

進化する辻占自販機 その4

進化する辻占自販機 その4 4.「辻占箱の改良」(実用新案第224359号) 出願:昭和10年6月21日 公告:昭和11年1月18日 出願人 考案者 朝鮮京城府古市町十四番地 三浦泰幹、岩本明 硬貨を投入すると、「捲籤煙草」が辻占箱下方の取り出し口…

進化する辻占自販機 その3

進化する辻占自販機 その3 3.「自働販売機附吸殻受」(実用新案第178159号) 出願:昭和7年1月29日 公告:昭和8年1月18日 出願人 考案者 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町原宿二二三番地 森川廉 自動販売機付きの吸殻受。硬貨を投入すると紙巻煙草…

進化する辻占自販機 その2

進化する辻占自販機 その2 2.「自働辻占箱」(実用新案第65833号) 出願:大正10年5月5日 登録:大正11年9月11日 実用新案権者(考案者) 山口県都濃郡鹿野村大字鹿野上第二千八百九十八番地 宮本重胤 辻占の自動販売機を改良して、前扉の…

進化する辻占自販機

進化する辻占自販機 占紙の販売方法には人を介する方法の他に、自動販売機によるものがある。その始まりについては4月27日の「東京の辻占占紙 その1」で取り上げたが、その後、辻占の自販機はどのような進化を遂げたのだろうか?特許関連資料を元にして、そ…

大正以降の辻占占紙 その5のおまけ

大正以降の辻占占紙 その5のおまけ 10.「やきぬき辻占」(はりまや商店、小生所有)の占紙の画像。辻占文句は「第四十九大吉 あきないに利あり」、「第五十末吉 何事も悲観すべからず」、「第五十一吉 大なる望すべからず」、「第五十二吉 浩然の気を養ふ…

大正以降の辻占占紙 その5

大正以降の辻占占紙 その5 9.「モダーンアブリ出シ辻占」(はりまや商店、小生所有) 画像左の辻占占紙。裏には「此のあぶり出し辻占は思ふ事を書いて火にあぶれば答へ出る」、「大阪市北区吉山町五三 発売元 はりまや商店」とある。(一部漢字を現漢字で…

大正以降の辻占占紙 その4のおまけ

大正以降の辻占占紙 その4のおまけ 7.「大入りげんや辻占」(田村栄太郎発行、昭和7年、小生所有)の占紙の画像。

大正以降の辻占占紙 その4

大正以降の辻占占紙 その4 7.「大入りげんや辻占」(田村栄太郎発行、昭和7年、小生所有) 袋の表には花魁が描かれており、「大入りげんや 一力直しおいらん 辻占」と記されている。(画像)中の占紙の内容は易占風ではなく、神社・仏閣のおみくじに近い…

大正以降の辻占占紙 その3

大正以降の辻占占紙 その3 5.「出雲たより御辻占」(法令館発行、大正2年、川崎市市民ミュージアム蔵) 中町泰子さんの『狐がくわえた辻占 移動と芸による占紙販売』(『見世物4号』見世物学会・学会誌 2007年11月に掲載)の中で紹介されている占紙。袋…

大正以降の辻占占紙 その2

大正以降の辻占占紙 その2 3.「御つじうら」(高島神易館、大正2年、東京・中山榮之輔氏蔵) 企画展『呪いと占い』の図録P.75で紹介されている。美人肖像及び都々逸入り。表に「鳥居」と「瓢箪」の絵が描かれ、「稲荷大明神」と記されていることから、瓢…

大正以降の辻占占紙 その1のおまけ

大正以降の辻占占紙 その1のおまけ 1.「阿部清明獨判断」(法令館発行、大正3年、小生所有)の占紙の画像。

大正以降の辻占占紙 その1

大正以降の辻占占紙 その1 前章で述べたように日露戦争以降辻占菓子売は次第に姿を消していき、占紙を売る辻占売が増えていった。そのため辻占占紙の需要が高まり、瓢箪山稲荷神社だけではなく、民間の業者も占紙を手掛けるようになった。 1.「阿部清明獨…