今日の辻占

tsujiurado2008-09-13

沢村版『花のたよりこいの辻占』より「いそがしくつていかれない(忙しくって行かれない)」。円錐形の深編み笠を被った「読売」らしき男が描かれている。当時、瓦版や新聞、教訓本や流行歌の本を大道で読み聞かせて販売する「読売」と呼ばれる者がいた。かの『読売新聞』(明治7年11月創刊)の社名はこれに由来するのだが、新聞の販売員が遊廓に行ける程の収入を得ていたとは到底考えられない。ではなぜ読売の絵が添えられたのだろう?8月22日の「今日の辻占」の中で、この辻占絵の製作時期を明治6年2月以降と推理したが、その頃有力な新聞に『東京日日新聞』(明治5年3月創刊)があった。創立者は戯作者として「山々亭有人」の筆名を持っていた条野伝平、貸本屋辻伝右衛門方の番頭であった西田伝助、浮世絵師「歌川芳幾」こと落合幾次郎の3名。山々亭有人といえば明治元年9月20日に開業した望月堂の開店披露の引札を書いた人物であり*1、歌川芳幾は三代豊國の後を受けて遠月堂の似顔辻占を製作した人物*2だから、両者いずれも辻占とは縁が深い。添え絵の男は丸印の入った前垂れを着けているが、これは『東京日日新聞』の条野や芳幾を戯化したものではないだろうか?彼らなら遊廓に通える財力があると思うのだが、穿ち過ぎだろうか。

*1:3月18日の「辻占雑記帳」参照

*2:3月17日の「辻占雑記帳」参照