2006-01-01から1年間の記事一覧

『天衣紛上野初花』と辻占

『天衣紛上野初花』と辻占 河竹黙阿弥の『天衣紛上野初花』(明治14年)に登場する辻占も、「言葉占い」といえよう。 とら「もし勘八さん、爰(ここ)は吹きさらしで寒いから、あつちへはひつてあたつておいでな」 勘八「いや大福を喰つて居る所へ、あたつ…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「ゆくすへおごらんよ(行く末を御覧よ)」。描かれているのは草履と手拭い。ほっかむりして二人で駆け落ち、というバッドエンドを暗示しているのか。

『春告鳥』と辻占

『春告鳥』と辻占 ここまで辻占の登場する場面を見てきたが、いずれの作品でも辻占は境界領域並びに路上で行われていた。ところが、天保期になると屋内で辻占が行われる場面が登場する。 為永春水の『春告鳥』二編(天保8年[1837])には、以下のような下…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「きつとやくそくしましたよ(きっと約束しましたよ)」。女性の絵が描かれているところを見ると、何かおねだりでもしているのだろうか。

『南総里見八犬伝』と辻占

『南総里見八犬伝』と辻占 『芦屋道満大内鑑』同様、「路上」で辻占が行われる場面が、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』第五輯*1巻之一第四十二回に見られる。 是見給へ、今来し途の田の畔にて、この鋏を拾ふたり。鋏は進みて物を剪れども、退くときはその功な…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「ごしようだからやめておくれよ(後生だから止めておくれよ)」。挿絵は、サイコロとお猪口。博打と酒で失敗するのは、今も昔も変わらない。

『芦屋道満大内鑑』と辻占

『芦屋道満大内鑑』と辻占 辻占の変容は、近松の死後も続く。近松の活躍した竹本座の座主であった竹田出雲は、享保19年[1734]に『芦屋道満大内鑑』を書くが、この二段目に辻占が登場する。 かの桜木のあだ花をちらしてのけんと入相の鐘を相図に石川悪右…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「人めはいいが心のつらさ(人目はいいが心の辛さ)」。きれいな着物で着飾っていて見た目はいいが、苦海に身を落とした遊女の身の上。心の辛さはなかなか人には理解してもらえない。

『心中宵庚申』と辻占

『心中宵庚申』と辻占 近松門左衛門の代表作の一つ『心中宵庚申』*1道行の場にも辻占が登場する。 今の小うたの一ふしにふたりとふたりが名とり川、 ヲヽそれそれじやとうたひしはおれとそなたが名とり川、 つじうらがよいこなたへといさむはおとこのやたけ…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「たべてはむまいがあとがこはゐよ(食べてはうまいが後が怖いよ)」。河豚は毒が怖いし、西瓜は食べ過ぎて腹を壊すのが怖い。

『博多小女郎波枕』と辻占

『博多小女郎波枕』と辻占 近松門左衛門が享保3年[1718]に書いた『博多小女郎波枕』には、以下の下りがある。 まさしかれと心中にたのみをかけし辻占の、 かごかきが詞のはづれ惣七が胸にこたへ、 かゝらぬなはに気をしばられむかふの人はおるれ共、 我心…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「二世もさん世もかはらぬみよと(二世も三世も変わらぬ身よと)」。蹲?の側に、刀と文箱。恋文の内容が真剣であることを示すために、「真剣」の絵が描かれているのか?難解な挿絵。

『堀川波鼓』と辻占

『堀川波鼓』と辻占 西鶴と並んで上方文学を代表する近松門左衛門の作品にも、辻占が登場する。宝永4年[1707]の『堀川波鼓』下巻には次のような台詞がある。 こぶしをかため四つ辻に四人さまよひ立ゐたり、 常さへにぎはふ上京のおりしもけふの祭客、 下…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「あんまりのびてはいけないよ(あんまり延びてはいけないよ)」。手紙の返事や借金の返済は早めに済ませよという意。蕎麦がぴろ〜んと伸びているのに驚く男の表情が、間抜けていてよい。

『好色一代男』と辻占

『好色一代男』と辻占 近世小説に辻占が初めて登場したのは、天和2年[1682]の井原西鶴『好色一代男』で、巻四「形見の水櫛」に辻占の描写がある。 邊(あたり)を見れば。黄楊の水櫛。落てけり。あぶら嗅きは。女の手馴し念記(かたみ)ぞ。是にて。辻占…

俳諧と辻占

俳諧と辻占 連歌から発し、室町時代末の「俳諧連歌」を経て、江戸時代になって確立した俳諧は、和歌とは異なり民衆詩の色彩が強かった。故に、当時使われていた「辻占」という呼称を句の中で用いている。1.『玉海集』(明暦2年[1656])栄春*1の発句・付句 …

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「かたちはよいがねがないよ(容貌は良いが根がないよ)」。やはり「根なし草」は嫌われるのか。挿絵は生け花。見目麗しいけど、根っこはない。

辻占の変容、江戸時代の和歌と「夕占」

辻占の変容 昨日まで、占いとしての「辻占」の歴史を見てきた訳だが、その占いの呼称が、なぜ「偶然起こった物事を将来の吉凶判断のたよりとすること」や「紙片に種々の文句を記し、巻煎餅などに挟み、これを取ってその時の吉凶を占うもの」に使われるように…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「かたいやくそくがしてありますよ(堅い約束がしてありますよ)」。色街で「堅い約束」と言えば、「来世でも一緒になろう」という『二世の契り』がまず浮かぶのだが、挿絵に描かれているのは石臼と沢庵石。確かに石製品だか…

占いとしての「辻占」のまとめ

占いとしての「辻占」のまとめ これまで占いとしての「辻占」の歴史を概観してきたが、そのポイントは、次の6点。 古代人は、夕方から宵にかけて異界の入口である辻に立ち、神霊の言葉を聞くことによって未来が予知できると信じていた。これを「夕占(ゆう…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「大あた利〜(大当たり〜)」。的のど真ん中に矢が立ち、「大吉」のおみくじが描かれている。

衰微する辻占

衰微する辻占 辻占の繁栄は瓢箪山だけの現象で、他の地域では衰微の一途をたどった。これには易占の流行や後日述べる辻占菓子の普及も一枚噛んでいる。 瓢箪山以外の辻占の記録としては、明治36年の『文芸界第十七号』で芸者のまじないの一つとして丑三つ…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「ばかにされないよふにおしよ(馬鹿にされないようにおしよ)」か?挿絵の貝はバカガイだろう。

瓢箪山稲荷神社の辻占(その3)

瓢箪山稲荷神社の辻占(その3) 明治34年1月28日付『大阪朝日新聞』には、『瓢箪山の辻うら』と題する参拝体験記が載っているが、ここに見える辻占の手順は次の通り。 神社に参拝し、願意を神に伝える。 拝殿前に置いてある籤(一〜三の番号がついた棒…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「いつでもかはらない人だよ(いつでも変わらない人だよ)」。お多福のお面をかぶっているように、いつもニコニコしているのだろうか。

瓢箪山稲荷神社の辻占(その2)

瓢箪山稲荷神社の辻占(その2) 『文芸倶楽部第十一巻第十三号』(明治38年)に、番衆浪人というペンネームの者が『辻占本家河内瓢箪山』という題で、明治20年代後半の辻占体験記を寄せている。長文だが当時の様子が生き生きと描かれているので紹介した…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「おすがたなりとおがみたい(お姿なりと拝みたい)」。恋人と言葉は交わせなくても、せめて姿だけは見たいという心情を示している。「叶堂」と書いた提灯は、願望が切実であることを暗示している。

瓢箪山稲荷神社の辻占(その1)

瓢箪山稲荷神社の辻占(その1) 明治維新を経て文明開化の世が到来し、旧来の占いが迷信として排斥される中、辻占は大阪の瓢箪山稲荷神社で繁栄を謳歌した。社伝によれば、ここには山畑古墳群中最大最古の6世紀古墳時代後期の双円墳があって、昔から「瓢箪…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「むかしのことおをもつてごらんよ(昔の事を思ってごらんよ)」。「昔の良かった頃を思い出してみなさい」というアドバイスなのに、挿絵は川を流れる桃の実。「『桃太郎』の昔話を思い出してどうするのだぁ〜」と画工の歌川…

辻占の行われた場所

辻占の行われた場所 辻占が行われていた場所について、江戸時代に書かれた記録が二点ある。 享保19年[1734]刊の菊岡沾凉の随筆『本朝世事談綺』(別名『近代世事談』)五巻雑事 「辻占」の項に、大阪・堺の「占の辻」の話がある。 辻占は泉州堺より始ま…