衰微する辻占

  • 衰微する辻占

辻占の繁栄は瓢箪山だけの現象で、他の地域では衰微の一途をたどった。これには易占の流行や後日述べる辻占菓子の普及も一枚噛んでいる。
瓢箪山以外の辻占の記録としては、明治36年の『文芸界第十七号』で芸者のまじないの一つとして丑三つ時の辻占が紹介されている。

丑満、と云ふから夜半の二時、ちょうど此の時刻に街の四角へ出て、想ふ人の方に向ひ「辻八辻八辻がうらでひく辻は辻まさしくも辻占の神」と三遍唱へ、そしてジツと耳を澄ましてゐる時に、何処ともなく男と女の話し声が聞こえれば待人来る、蕎麦屋の擔奴の姿が見えると来ぬといふ(雙角先生「芸者のまじなひ」より)

「辻八辻…」の呪文は、『艶道通鑑』―『本津草』系の変種と思われる。おそらく、「辻や辻四辻がうらの市四辻 うら正かれ辻うらの神」という呪文が、口伝によって変化したものだろう。黄楊の櫛を持って道祖神を念じる所作は、いつの間にか失われたようだ。辻占の占法は時代を下るにつれて崩れていったが、当時縁起をかつぐ芸者屋では細々と行われていたようだ。また、吉原では次のような占いが行われていた。

丑満頃の時刻を計り、常に人の住はざる表座敷に入りて障子を建て切り、草履は中へ入れて裏返へしに置き、さて此座敷を過ぎて櫺子に出で、手を懐にして目を閉ぢ一首の古歌を唱へること三度にして耳を澄ませば何処ともなく人の声ありて何時来るとか、当分はだめとか答ふるといふ、覚束なき咒法なり(『世事画報第一巻第四号 新吉原画報』明治31年 より。一部漢字に現漢字を使用)

占いが辻ではなく室内で行われているが、歌を三度唱えて人語を聞く作法は辻占と同じである。この「古歌」が辻占の呪文なら、この占いを「辻占の退化形」と断ずることができるのだが、残念な事に「古歌」に関する詳述がない。この『世事画報』には他にも吉原の待人占いが紹介されているが、辻に立つ辻占は掲載されていない。吉原に於いては既に伝統的な辻占占法が失われていたのかもしれない。