2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「いくらのんでもおまいの物よ(いくら飲んでもお前の物よ)」。ただ酒の呑み放題。呑む方はよいが、支払う方は大変だ。添えてあるのは「東京一」と書いた酒樽の絵。江戸は、慶応4(明治元)年7月17日に「東京」と改められ…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「はれてふうふなりたいよ(晴れて夫婦なりたいよ)」。添えてあるのは雪を被った富士山の絵。「晴れて」ということなので、「冬晴れ」の富士山を使ったのであろうか。

辻占昆布の道

辻占昆布の道 明治12年に書かれた河竹黙阿弥の『人間萬事金世中』の中に、辻占昆布の行商人が登場する。 花道より千之助散切鬘(ざんぎりかつら)襤褸装(つづれなり)藁草履にて、辻占昆布の入りし箱を肩に掛け出来り、 千之 「辻占昆布ぢや、板こぶぢや…

「とらやの羊羹」でおなじみの株式会社虎屋 内にある「虎屋文庫」様から、機関誌『和菓子』第15号をいただきました。今回は「菓子道具」特集号ということで、「民具から見た菓子と道具」、「菓子製造用具の整理と管理」、「菓子製造用具の保存修復」、並びに…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「とふにきまつておりますよ(とうに決まっておりますよ)」。10本の花が立花に仕立てられている絵が添えてあるが、「とう」と「十」を掛けたしゃれのようだ。

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「いまにしらきますよ(今に開きますよ)」。「ひ」と「し」の区別がつかないのは、江戸弁の特徴。梅の枝が描かれている。

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「だまつていてはしれないよ(黙っていては知れないよ)」。この文句を前向きに受け止めれば、「心底を明かしなさい」というメッセージになるが、添えられている絵を見ると、蚊帳の外でブンブン鳴いている蚊の大群が描かれてい…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「ながいめてみておいてよ(長い目で見ておいてよ)」。気短な江戸っ子にとっては耳の痛い文句だが、物事を長い目で見ることも時には必要。添えてあるのは長い「目」ということで、「目かずら(目鬘)」の絵。昔の粋人は、これ…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「おまへの心がききたいよ(お前の心が聞きたいよ)」。遊里の恋は狐と狸の化かしあい。本当に好きなのか、それとも営業トークなのか、『辻占茶屋』の源やんじゃなくとも、好いた相手の心底を知りたくなるのは当たり前。

開国と辻占菓子

開国と辻占菓子 鎖国から開国へと国策が転換し、欧米との交流が盛んになっていくと、辻占菓子も国際化の波にさらされるようになる。明治8年8月29日付の『讀賣新聞』には、西洋の辻占菓子を入手した者が次のような投書を寄せている。 私が此間西洋の辻占…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「みかけはわるいが人ずきがするよ(見かけは悪いが人好きがするよ)」。描かれているのはカボチャ。容貌の悪い男を罵倒する時には「この南瓜野郎!」といい、不美人を形容する時には「南瓜に目鼻」というが、カボチャはデンプ…

江戸以外での幕末維新期の辻占菓子

江戸以外での幕末維新期の辻占菓子 これまでずっと江戸の辻占菓子について見てきたが、この時期、他の地域ではどうだったのだろう? 幕末頃の大阪で作られたとみられる『浪花みやげ』という摺物を集めた本には、昆布を持った女性(写真)を描いた『辻占言葉…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「いまにちんちんかもでくらしますよ(今に仲睦まじく暮らしますよ)」。昨今はあまり使われないが、男女の仲睦まじい様子を「ちんちんかも」と表現する。描かれているのは鍋。2人差し向かいで鍋を突付くとはオアツイことで。

『街の姿』と辻占菓子

『街の姿』と辻占菓子 明治期に活躍した玩具蒐集家の清水晴風は、幕末の行商人の絵姿を『街の姿 江戸篇』(太平書屋、昭和58年)に描き残しているが、その中に辻占菓子を行商する者がいた。 ・辻うら売 淡[路]島通ふ鵆(ちどり)、恋の辻うら、辻うら豆[…

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり5「越後屋清蔵」、他

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり5「越後屋清蔵」、他 今回は、主に人形町通り新乗物町の「越後屋清蔵」について取り上げる。早稲田大学演劇博物館『近世・近代風俗史料貼込帖』に、こちらの店の「新板はうた煎餅」の引札が収録されている。 鶏卵所 新板はうた…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「またいつしよになる事もあるよ(また一緒になる事もあるよ)」。引いた人に期待を与える文句なのに、割れた茶碗の絵が添えられている。割れた茶碗を漆で継ぐという古来からの修理法があるが、これには時間と多額の費用がかか…

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり4 「清眞堂」と「金澤村井」

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり4 「清眞堂」と「金澤村井」 今回は八丁堀に舞台を移し、「清眞堂」と「金澤村井」を取り上げる。木村捨三の「続々商牌集 其二 遠月堂菓子店」で、大伝馬町の梅花亭と共に遠月堂の辻占煎餅に追随したと名指しされた八丁堀の清…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「かはいがられてそんはないよ(可愛がられて損はないよ)」。この絵は狆(ちん)の子犬だろうか?それとも単なる黒ぶちの犬だろうか?狆は落語の中ではよくお妾さんの家にいるが、江戸時代にはお座敷犬として大奥や大名家で飼…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「二さんねんしんぼふおしよ(二三年辛抱おしよ)」。明治5年10月、ペルー汽船の奴隷解放事件が動機となって、人身売買禁止、遊女解放令(太政官達第295号)が出された。芸娼妓は従来の奴隷的身分から解放され、年期奉公…

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり3 「梅花亭森田」

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり3 「梅花亭森田」 第3回では望月堂から更に市中を南下して、大伝馬町三丁目(現在の日本橋大伝馬町)にあった「梅花亭森田」を取り上げる。 木村捨三の「続々商牌集 其二 遠月堂菓子店」では「大伝馬町の梅花亭」、淡島寒月の…

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり2 「望月堂」

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり2 「望月堂」 第2回は、遠月堂から見て浅草橋を渡った反対側(横山町三丁目:現在の日本橋横山町)にあった「望月堂」という店を取り上げる。 淡島寒月は、『梵雲庵雑話』(平凡社、平成11年、P.123)で次のように述べてい…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「気がもめてならないよ(気が揉めてならないよ)」。絵は巻手紙と煙管。馴染みの客が顔を出さなくなったら、手紙を出して招いたり、煙草を吸ってイライラを解消したりと、花魁も大変なご様子。

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり1 「遠月堂」

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり1 「遠月堂」 ここからは数回に分けて、幕末維新の辻占煎餅の名店について紹介したい。第1回は、柳橋そばの浅草茅町(浅草橋の北詰東)にあった「遠月堂」を取り上げる。 昭和8年9月発行の趣味誌『集古』(集古会)P.501に…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「こごとはほとにしておふきよ(小言は程にしておおきよ)」。職人風の男の前には、茶碗と箸が散乱している。おそらく酔って小言を言っているのだろう。

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「さつと鳥居おこぐつておいてよ(さっと鳥居をくぐっておいでよ)」。吉原はしばしば大火に見舞われ、火災後、仮営業のために仮宅が深川によく置かれた。富岡八幡宮の一の鳥居の近辺は遊客で賑わったというが、文句にある「鳥…

辻占煎餅と大黒煎餅

辻占煎餅と大黒煎餅 辻占煎餅のルーツに関して、甲南女子大学文学部の菊池眞一教授が以下のような指摘をされている。 『は唄恋の辻うら』(上田市立図書館花月文庫)の序題は「??辻占選餅初編序」(二文字分不明)となっているが、その序文は次のようなも…

『花鳥風月』と辻占菓子

『花鳥風月』と辻占菓子 弘化初年に春水の門人によって書かれ、春水名義で出版された『花鳥風月』にも辻占菓子が登場する。蔵前の鶴亀屋の娘お柳が、銚子にいる貞次郎を慕って店からの出奔を決意する場面である。 ―忍ぶ恋路はさてはかなさヨこんど逢ふのがい…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「もふとしごろたよ(もう年頃だよ)」。ソラマメが描かれているが、これは、遊里で雛妓や小妓を「豆芸者」と呼んでいることに掛けているのだろう。ちなみにソラマメの黒い部分を「お歯黒」と呼ぶが、遊女がお歯黒を付けるのを…

今日の辻占

加賀吉版『新板こゐの辻占』より「あんしんしておいでよ(安心しておいでよ)」。帆を膨らませた船が描かれているが、これは「順風満帆」を暗示しているのだろう。帆に染め抜かれた「双つ山に吉」の紋は、この絵の版元である加賀吉のもの。絵師の細かい気配り…

『春の若草』と辻占煎餅

『春の若草』と辻占煎餅 辻占菓子という商品は、いつ、どこで、何のために作り出されたのか?この謎に迫るべく、時代を遡りたい。 辻占菓子が登場する文献で今のところ一番古いものは、江戸時代の天保年間に為永春水が書いた人情本『春の若草』である。この…