幕末維新の辻占煎餅名店めぐり1 「遠月堂」

  • 幕末維新の辻占煎餅名店めぐり1 「遠月堂」

ここからは数回に分けて、幕末維新の辻占煎餅の名店について紹介したい。第1回は、柳橋そばの浅草茅町(浅草橋の北詰東)にあった「遠月堂」を取り上げる。
昭和8年9月発行の趣味誌『集古』(集古会)P.501に以下のような記述がある。

続々商牌集 其二 遠月堂菓子店  木村捨三
弘化頃より役者似顔辻占せんべいを売出して、芝居好きの連中に人気を博したる店なり。この辻占せんべいといへるは、お手遊煎餅位のものを二つに折りて、丈二寸五分、巾一寸五分程の本の形ちになし、彩色七度入りの似顔辻占を一枚づゝはさみたるものにて、絵は亀戸豊國、後には芳幾の手に成りしといふ。その名高かりしこと、嘉永六年の 當代全盛江戸高名細見の菓子屋の部に、山形として、元治元年のさいせい記、江戸高名の部の筆頭に載れるにても知るべし。これに次いで、大伝馬町の梅花亭と、八丁堀の清眞堂の二軒にても売出せしが、みなこの店に真似たるなり。いかなる故にや明治五六年頃灸點屋と早替りして、今も浅草橋北詰の東側にて、大きなペンキ塗りの看板に美人が達磨さんにお灸をすえてゐる絵をかきたるはその家なり。商牌は色摺藍すりのものなど三四種ある内の一を採れり。(商牌の挿絵は省略)

また、明治期の作家で趣味人の淡島寒月も「浅草見附を越えると茅町に遠月堂と云う菓子屋があった。茲の辻占が名高く、彩色摺上等のものだった」と書き残している。[淡島寒月『梵雲庵雑話』(平凡社、平成11年)P.117]
この煎餅の紙片らしきものが、東京都立中央図書館にある。東京誌料の『江戸辻占』という銘の貼り込み帳に、縦72mm(二寸九分)、巾37mm(一寸五分)、最大七度摺りの彩色で役者を描き、「豊國」の署名が入った紙片が124枚貼られている。重複があるため種類は68となるが、書かれている辻占文句は次の3つのタイプに分けられる。
1.一言(辻占)型 「ゆったりしていいよ」、「うそばっかり」など16種類
2.易占型 「地沢臨 此卦ハ高きもひくきもよくまじはるこころなり」など33種類
3.おみくじ型 「大上吉 げいひやうしごくよろしくおしゆつせをまち升ぞへ」など19種類
尚、易占型で同じ卦でも絵や文句が違うものがあることから、何度も新しい版が製作されたと考えられる。これは、遠月堂の辻占煎餅が長期に渡って人々に親しまれたからだろう。
ちなみに、豊國(歌川国貞改め三代豊國)は『六菓煎 見立文屋 遠月堂の辻うら』という団扇絵(東京国立博物館蔵)も制作しており、当店との関わりは浅くはないと思われる。
『菓子業三十年史』(菓子新報社、昭和11年、P.6-9)によると、慶応元年秋に編纂された『歳盛記』の巻末にある『大江戸町々一品高名の部』には、「浅草御門 遠月辻占巻」とある。「遠月」とは遠月堂の事であろうが、「辻占巻」とは辻占入りの巻煎餅を指しているのだろうか?時と共に煎餅の形が「本の形」から「巻煎餅型」へと変化したのか、それとも新たに「巻煎餅型」の辻占煎餅が加わったのか。今後の研究の課題としたい。