遠月堂の引札
本日、国文学研究資料館(立川)の「日本実業史博物館コレクションデータベース」で辻占関係の史料を探索してみたところ、遠月堂縁谷の引札「菓子屋引札」(史料群番号37TI、請求番号0151、枝番0000)がヒットしました。画像を含む引札のデータはこちらから検索できます↓
http://base5.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/G0000002JITUHAKU
画像が見え辛いですが、2003年度に国文学研究資料館の原島陽一客員教授が作成した解説文によると、浅草御門外から移転し新しく出店する際に発行された引札との由。お品書きと値段も添えられていますが、幕末に一世を風靡した役者似顔辻占煎餅はなく、普通の和菓子店らしい品揃えに変わっています。
また、2008年3月17日にご紹介した木村捨三の記述には「いかなる故にや明治五六年頃灸點屋と早替りして、今も浅草橋北詰の東側にて、大きなペンキ塗りの看板に美人が達磨さんにお灸をすえてゐる絵をかきたるはその家なり」という下りがありますが、引札の日付は「未ノ二月廿八日」。未年を明治4年とすると、遠月堂が移転してから1年程空き家であったことがわかります。この時期、円・銭・厘の採用、廃藩置県などがありましたが、そのあおりで柳橋が不景気となり、店を浅草寺の参拝客があてにできる浅草広小路へと移したのかもしれません。
『明嬉今朝之辻占』
虎屋文庫さんのHPで連載している「歴史上の人物と和菓子」のコーナーで『淡島寒月と辻占』というタイトル(2014年12月16日掲載)で遠月堂の辻占煎餅が取り上げられていました。↓
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/166/
ここにある歌川豊国(三代)の団扇絵『明嬉今朝之辻占』に辻占煎餅の箱と煎餅を持つ2人の女性が描かれていますが、その煎餅の姿は2009年2月2日の「遠月堂の辻占煎餅と『はうた辻占せんべい』(辻占本)」でご紹介したものと同じに見えます。
http://d.hatena.ne.jp/tsujiurado/20090202
立派な木箱に入ったお煎餅はおそらく土産品や贈答品に使われたのでしょう。
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「とらやの羊羹」でおなじみの株式会社虎屋 内にある「虎屋文庫」様から、機関誌『和菓子』第22号をいただきました。今回は「地域資料に見る菓子」特集号ということで、江戸〜近現代の四地域の製菓店や文化人の記録が紹介されています。ご興味のある方はご一読を。(虎屋文庫HP:http://www.toraya-group.co.jp/gallery/dat_index.html)
乃木将軍と辻占売 その3
その後の今越翁ですが、弟は孤児院に預けられ、妹は生母に連れ去られ、祖母は心労が元で亡くなり、とうとう天涯孤独の身になります。
かねてから誘いがあった殿町の金箔屋に年期奉公に入り、7年の修行を経て京箔(京都の金箔造り)を学ぶために金沢を後にします。
当時、児童福祉方面の政策は未発達でしたが、自助努力で一家の生計を支えようとする孝行な子供に対して街の人々は進んで商品を買ったり、より良い働き口を勧めたりして支援したのでした。
その善意を悪用して街のチンピラが辻占売の子供を物乞いの手先に使い出すようになるのはもう少し後の事です。