幕末維新の辻占煎餅名店めぐり4 「清眞堂」と「金澤村井」

  • 幕末維新の辻占煎餅名店めぐり4 「清眞堂」と「金澤村井」

今回は八丁堀に舞台を移し、「清眞堂」と「金澤村井」を取り上げる。木村捨三の「続々商牌集 其二 遠月堂菓子店」で、大伝馬町の梅花亭と共に遠月堂の辻占煎餅に追随したと名指しされた八丁堀の清眞堂。残念ながらこちらの店に関する資料は見つけられなかったが、その過程で清眞堂の近所で辻占煎餅が作られていたことがわかった。「金澤村井」という南八丁堀三丁目にあった菓子舗で、早稲田大学演劇博物館の『近世・近代風俗史料貼込帖』にそこの引札が収録されている。この引札は菓子の銘柄と定価を書き並べたもので、使用されている通貨単位から幕末維新期のものと推測される。その中に「一.辻うら煎べい 十に付代二十銅(文)」という記載があった。この煎餅の価格を、蕎麦一杯十六文=600円を基準にして、現在の価格に換算してみると、10ヶで750円になる。ちなみに、今、伏見稲荷にある宝玉堂で売っている辻占煎餅(白みそ煎餅・鈴)は10ヶで650円なので、それと比べると幾分割高になる。ただ、辻占の文句を書いた紙片に色刷りの役者絵が使われていたとしたら、小生はこの値段でも納得できる。