辻占煎餅と大黒煎餅

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辻占煎餅のルーツに関して、甲南女子大学文学部の菊池眞一教授が以下のような指摘をされている。

『は唄恋の辻うら』(上田市立図書館花月文庫)の序題は「??辻占選餅初編序」(二文字分不明)となっているが、その序文は次のようなものである。

前に南駅の田舎翁が、手製の風味いちじるき、大黒煎餅の点心(おちやうけ)は、普く通家の口に叶ふて、老舗の株に数編を重下戸も上戸も気請よく、売(うれ)るといふを的当(きつかけ)に畑は同辻占選餅、待人かけし君達はじめ、めせや辻占つちうらや辻占

ここには、新吉原の辻占煎餅売りの図が掲げられているが、この序文から、辻占煎餅は南駅即ち品川遊郭で売りはじめられた大黒煎餅にヒントを得たものであることが知られる。「数編を重」というのは、実際の大黒煎餅から転じて、『音曲大黒煎餅』という本が六巻を重ねたことを指していると考えたい。この本は、辻占煎餅が大黒煎餅を模倣したのにことよせて、『音曲大黒煎餅』にならって『辻占煎餅』という本を出しますよ、と宣言しているのであろう。
菊池真一「辻占都々逸研究」<『甲南国文第52号』(平成17年3月)P.54>より]

菊池先生のおかげで、辻占煎餅が大黒煎餅から生まれたことが判明したが、そもそも大黒煎餅とはどんな菓子なのだろうか。仙台駄菓子の老舗の主人で駄菓子研究の第一人者だった石橋幸作氏(故人)の『駄菓子のふるさと』(未来社昭和36年)によれば、元禄頃江戸で発明され、丸い煎餅を三方から折り曲げて空間を作り、その中に木彫の大黒を入れていた。入れていない煎餅も作り、多数の中から客人が大黒入り(=幸運)をつかみ出すという趣向が受け、引き当てた客人は福の神が舞い込んだとして、その縁起を祝ったとの事。この模倣品が市中から全国に広まり、後に小物玩具を中に入れた「カラカラ煎餅」が生まれたという。(P.45-49)
この大黒煎餅の大黒の代わりに、辻占文句を書いた紙片を入れれば辻占煎餅となるわけだ。
大黒煎餅は品川遊郭で売りはじめられたが、辻占煎餅はどこで初めて作られたのだろう?品川遊郭なのか、吉原をはじめとする他の遊郭なのか、それとも廓外の江戸市中の菓子店か。探求は更に続く。