『春の若草』と辻占煎餅

  • 『春の若草』と辻占煎餅

辻占菓子という商品は、いつ、どこで、何のために作り出されたのか?この謎に迫るべく、時代を遡りたい。
辻占菓子が登場する文献で今のところ一番古いものは、江戸時代の天保年間に為永春水が書いた人情本『春の若草』である。この三編巻之上第十四回に、辻占煎餅が登場する。場所は吉原の妓楼・大唐の二階、新造・蔦垣の座敷。いたずら者の内芸者豆八を新造の雛琴と都野が追い回している。

ひな「ヲヤ豆八さんざますかへ覚えて居なまし」ト手をふりあげて打んとするを豆八は摺抜(すりぬけ)て先へ座敷のうちへ這入り蔦垣の後ろに小さくなつて隠るゝを雛琴は追ひつめて来て
ひな「さア都野さんも加勢をしなまし」ト二個(ふたり)にて豆八を捕へしたゝかに擽(こそぐ)れば豆八はキイキイいつて笑ひながら
豆「もうあやまつたから堪忍してお呉なはい其替りにおまはん達に宜物(いいもの)を進(あげ)ますから」
ひな「宜物とは何だかだしてみせなまし」
都「啌(うそ)ざますヨ豆八さんはそんな物をもツてゐるきづかひはありやアしまへんからもつと思入れ擽ツてやる方がようざますはネ」
豆「ナニ實正(ほんとう)に進るから何卒擽ることはやめにしてお呉なはい」トてを合せて拝む真似をするゆゑ
つた垣「困ツた騒々しい赤子さん達ざますネへもうふざけツこはやめてちつと静にはなしでもしなましな」
豆「ソレおみなはいおまはん達があんまりお騒ぎなはるから叱られるんでありますヨ坊は温和(おとな)にお火鉢のそばへ安居(えんこ)して烟草でもたべませう」
ひな「ヲヤ面(つら)がゐひヨ自分から仕出してネへ都野さん」
都「アヽさうざますヨ夫だけれどもゐひ物を呉るといふからマア堪忍して置のでありますヨさあ豆八さん何だか今言たものを出して見せなまじ」ト言ひながら火鉢の側へ寄りたかれば豆八は袂の中より辻うらの這入つて居る煎餅を三ツ出して
豆「和合(なか)よく三人一ツヅヽ進るンでありますヨ」ト言へば都野は一番に煎餅の中を明(あけ)て見て
「あ。か。に。し。だ。よ。ヲヤあかにしとは何のことざませうネエ」
つた垣「吝嗇坊(しわんぼう)だといふ事でありまはアネ」
都「否(いや)ざますヨ私きやアこんな辻占は」
豆「お前はんがあかにしだと言ふのだから宜ひぢやアありまへんか」
都「可憐相私きやアそんなあかにしぢやアありまへんものをお前はんが私に悪いのを撰(よつ)て呉さしつたんだヨ最う一ツ宜ひのをお呉なましヨウ豆八さん後生ざますから」
豆「最(も)うそんなにやア在りは為まへんものを」
都「啌をお吐(つき)なまし袂にこんなに持ツて居る癖にヨお前はんこそあかにしざますネへさア呉さつしやらないと又擽ツて取るが宜うざますか」
つた垣「あるなら速く出して遣(や)んなませんと又先刻のやうにおどかしそくなはるかも知れないヨ」
豆「ヲヤ誰が私をおどかしそくなツたんでありますエ」
つた垣「アノウ此二個がネお前はんだと思つてお慾どんをおどかしたんざますトサホヽヽヽ」
豆「ホヽヽヽ宜ひ気味でありましたネエそんな悪戯をするもんだから直(じきに)に罰が当るンでありますヨそんな者に在たツて誰が遣りますものか」
都「ヲヤ實正に呉さつしやらないネ」ト又擽りにかゝれば
豆「アレサ擽るのは堪忍してお呉なはい正直の事はネ今奥座敷で瀬川さんの客人が私に見びらかしてじらして居さつしつたのを無理にひツたくツて迯(にげ)て来たので在ますからコレお見なはいこんなに掴み潰して仕舞ツたんでありますヨ」ト袂から粉なごなになつた煎餅を出して見せる
都「其処にまだひとつこわれないのがあるじやアありまへんか夫を私にお呉なましヨウ」
豆「こりやアお雪さんに進やうと思つて取とゐたんでありまさアネ」
ひな「ホンニお雪さんと言へば今日は些とも見かけないが何様(どう)か為(し)なましたのかへ」
つた垣「聞てお呉なまし昼から内證(おへや)へ呼付られて那(あの)一件の事を言はれて居なまさアネ寔(まこと)に可憐相ざますネエ座敷でも(ざしきとは蔦の助をさしていふことばとしるべし)何とか口を利(きい)て遣りたいんだが今度の事は放心(すっかり)口が出されないからまア知らない顔をして居ると言ツて居なますがネ是と言ふもみんなお慾どんの作略(さりゃく)でこんな事にもなるのだと思ふと実に口惜うざますヨ夫に那嬢(あのこ)がお前はん等のやうなら宜うざますが寔に内気ざますから猶々側で歯痒いやうな事があるんでありますヨ」
ひな「気障アな目玉婆アざますネへ」
都「夫でも先刻間違ておどかして遣ツたなア宜気味ざましたネへ」
豆「その位な事を何と思ひますものかネ余ツ程根性の太いのでありますものを」ト咄(はな)して居るとき廊下に足音が聞へるゆゑおのおの袖を引合ツてばつたり無言(だまる)折りしも障子を静に明て泣腫(はら)した眼を袖でおさへながらお雪がしほしほ裡(うち)に這入れば
ひな「ヲヤお雪さんざましたかへ」
都「私きやア又目玉が立聞にでも来たのかと思つて恟(びっく)りしたんでありますヨ」
つた垣「何様ざましたへやつぱり分らないんでありますかへ」
雪「アヽ」ト言つたばかり俯向て欝気(ふさい)で居るゆゑ
つた垣「アレサ何ざますネへあんまりお前はんが気が弱いからいけないんざますヨ何と言はれたつて圍(かま)ふことがあるものかといふ気になつてお見なましなそして先刻(さっき)出した手紙も喜助どんが慥(たしか)に届けたと言ツたから夫ともにと思ツて待人の占を為(し)て貰ひに遣ツたら大そう吉事(いい)占ざましたから急度(きっと)今夜は花暁(ぬし)が来さつしやるに違ひはありまへんヨ」
ひな「豆八さん今の物をお雪さんに進なましな」
豆「アヽ然(そ)うでありましたネへ」と以前の辻占を出して
豆「お雪さんお前はんのにたツた一ツ取といたんでありますヨ」
雪「お有難うざます蔦垣さん開て見てお呉なまし」
つた垣「ドレ見せなまし」ト中をひらいて
つた垣「ヲヤまアどんなに宜ひ辻占ざませう」
豆「何と書いてありますへ」
つた垣「まちがひなしだトサ」
雪「ヲヤ嬉しい」トはじめてにつこり笑ふ其時見世(みせ)にて若者の声
若「お客だヨウ」
(一部旧漢字を現漢字又は平仮名で表記)
[『帝国文庫第二十四篇 梅ごよみ 春告鳥』(博文館、昭和3年)P.866-868より]

フィクションではあるが、辻占煎餅が使われる様子が生き生きと描かれている。
ここから得られる情報は、
(1)文中に辻占煎餅に関する特段の解説が無いことから、登場人物(遊郭の人)や当時の読者にとって辻占煎餅はおなじみの品であったと考えられる。
(2)とはいうものの、この本に登場する辻占煎餅は妓楼が購入したものではなく、奥座敷に来た客人の土産だった。落語の『辻占茶屋』や『辰巳の辻占』にもあるように、後世、辻占菓子は遊郭の待合にはなくてはならないものになる。しかし、それが常備品ではなく、客の土産ということは、当時は辻占菓子が世に出てからまだそんなに年数が経ってなかったのかもしれない。
(3)煎餅の材質は壊れやすく、中に「あかにしだよ」とか「まちがひなしだ」という文句を書いた紙が入っていた→煎餅が壊れやすいのは、瓦煎餅や巻煎餅のように、小麦粉を原料にしている可能性がある。また、ここの辻占文句は簡潔で、紙に直接書かれており、炙り出しにはなっていない。
(4)待人の占いをする占い師がおり、遊女の身の回りを世話する店の者が吉凶を聞きに占い師の下へ行かされることがあった。また、お雪の辻占煎餅の文句は占い師の託宣を補強する内容だった。
の4点である。