幕末維新の辻占煎餅名店めぐり5「越後屋清蔵」、他

  • 幕末維新の辻占煎餅名店めぐり5「越後屋清蔵」、他

今回は、主に人形町通り新乗物町の「越後屋清蔵」について取り上げる。早稲田大学演劇博物館『近世・近代風俗史料貼込帖』に、こちらの店の「新板はうた煎餅」の引札が収録されている。

鶏卵所 新板はうた煎餅
ぬば玉の闇を省きて「撰玉子」のなかきを吟じ。「焼玉子」の黄金色は。「大黒煎餅」と共に種を撰み、「玉子落雁」「玉子煎餅」の淡(あはき)味(あぢは)いわ。御口当りのよき「辻占煎餅」。その待人の御来駕「有平巻煎餅」のいく重にも「福は内」わの賑はふやう。「瓦煎餅」のあひかわらず。御用向を伏してねがふ主人にかはりて
梅素亭呂来記(玄魚印)
御進物は好に(  )出来(  )
霜月明日より当日廉景呈上  人形町通り新乗物町 越後屋清蔵

はうた煎餅の宣伝かと思えばさにあらず、この引札は店の商品ラインナップを宣伝している。「鶏卵所」の看板の下に「新板はうた煎餅」の札が下がっている図から、小生はこの店の本業は鶏卵店で、副業として鶏卵を材料にした菓子や玉子焼を販売していたと見ている。また引札の制作時期は、口上を書いた梅素亭玄魚(当時の図案家)が明治13年に亡くなっていることから、それ以前であろう。
この他、東京学芸大学附属図書館所蔵の『新板御菓子双六』(市谷船河原・高橋堂雪齋、制作年代など詳細は不明)に「辻うら煎餅」が描かれているが、高橋堂雪齋という版元はないので、高橋堂は菓子屋で、店の商品を双六に仕立てて宣伝のために得意先に配ったのではないかと想像している。