『南総里見八犬伝』と辻占

芦屋道満大内鑑』同様、「路上」で辻占が行われる場面が、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』第五輯*1巻之一第四十二回に見られる。

是見給へ、今来し途の田の畔にて、この鋏を拾ふたり。鋏は進みて物を剪れども、退くときはその功なし。剪は鋏の本字にして、鎧櫃に前の字をも、又剪の字を書て前後をわかつは、をさをさこの義を取れりとぞ、某総角なりし比、手跡の師たる人はいひにき。鎌鍬なンどの農具ならば、田の畔に遺てもあらめ。あるべき処ならずして、この鋏を拾ひしは、前みて仇をるといふ、十字占(つじうら)ならんと思ひしかば、歓びてとり揚たり。

犬塚信乃が犬田小文吾に行徳に帰ることを勧めると、小文吾は道で拾った鋏を示して「『進んで仇を切れ』という辻占」と、信乃達と共に戦うことを訴える。この下りの辻占も路上のものだが、使われているものは人声ではなく「鋏」という品物である。これは、辻占の原義から大きく逸脱していると言わざるを得ない。路上で示される予兆は全て「辻占」ということなのだろうか。

*1:文政6年[1823]