辻占の行われた場所

  • 辻占の行われた場所

辻占が行われていた場所について、江戸時代に書かれた記録が二点ある。
享保19年[1734]刊の菊岡沾凉の随筆『本朝世事談綺』(別名『近代世事談』)五巻雑事 「辻占」の項に、大阪・堺の「占の辻」の話がある。

辻占は泉州堺より始まった。彼の地にある市の町湯屋の町という大小路の辻を「占の辻」と言う。ここは摂津の国と和泉の国の境目で、両国はここから南北に二分される。「昔安倍晴明がここを通りかかった際に、後世のためにと占いの書を埋めた」と言い伝えられており、この辻に出て吉凶を占うと外れることがない。これが辻占の起源で、この占いはあまねく諸国で行われている。

辻占の起源を歴史的な大陰陽師安倍晴明に仮託するこの説は荒唐無稽といわざるをえないが、摂津、和泉の境界でこの占いが行われていた点は興味深い。堺の町は安土桃山時代南蛮貿易の港として栄えたが、当時の人々は異世界への入り口と感じたことだろう。「占の辻」の背景にはこのような境界認識があったのではないだろうか。
享和元年[1801]の『河内名所図絵』には四条村(現東大阪市)の「如ト」の記事がある。

如ト 土人云、京街道四条村の間に出て、往還の人の辻占を聞ば、我思ふ事の善悪鮮にしるゝとぞ。 
占聞夜身にしみわたる萩の風 豊浦耒耜

ここには「弾正の辻」の故事は出ていないが、当時この地域で辻占が行われていたことがわかる。