今日の辻占

tsujiurado2008-09-26

沢村版『花のたよりこいの辻占』より「あしたのばんもきておくれ(明日の晩も来ておくれ)」。馴染みの遊女にこう言われたら男冥利に尽きるが、気になるのは添え絵にある「昔はなしてんぐ連」の看板。もしかして彼女は客の男っぷりではなく、昔話の面白さに引かれて誘っているのではないだろうか。吉原の遊女は広く各地から集められたため、コミュニケーションの手段として各地の方言に代わって「里言葉(廓言葉)」という共通語を使っていた。言葉は廓内で暮らしていれば自然と身に付くが、江戸の風習や歴史については自分から積極的に学ばなければどうしようもない。幕府の奥儒者から転進した成島柳北*1や戯作家の流れを汲む仮名垣魯文、山々亭有人など、江戸の世相に詳しい当時の文人達は吉原に行けばモテたに違いない。

*1:柳橋花柳界を描いた『柳橋新誌』[初編:安政6年、二編:明治4年]の著者で、明治7年に『朝野新聞』を創刊