夕占と女性

  • 夕占と女性

鎌倉時代末に成立した百科事典的雑録『拾芥抄』上本 諸頌の項にも、夕占の記述がある。

「フナトサヘユフケノ神ニ物トヘバ道行人ヨウラマサニセヨ」
児女子が言うには、黄楊の櫛を持ち、女三人三辻に向かい夕占をする。又午歳の女は午の日にこれを行う。此の歌を三度口ずさみ、堺を作って米を撒き、櫛の歯を三度鳴らした後、境内に入って来た人が中の人の為に答えを言う。その言語を聞き、吉凶を推測する。

基本的なやり方は、『二中暦』と同じだが、女性三人が三辻で占うことや、午歳の女は午の日に占うことになっているのが新たな趣向となっている。伴信友は、女性三人が三辻で占うことついて、「元来ただ辻で占いをしていたものを、後世『ト』の字の形に合わせて三辻で行うように理屈付けたのではないだろうか」と指摘している。恋人の来訪や胸に秘めた恋の行く末を占うために三人掛かりで占いをするのは、大袈裟過ぎるし現実味も薄い。夕占は個人色の強い占いで、亀トや太占といった国家レベルの大事を占うものとは違う。また、午歳の女は午の日に占うことに関しては、「占う女の生まれ年と占う日に同じ干支を用いる一例として、これは書かれたのではないだろうか。ただ干支を持ち出して占いを行うことは後世加わった作法で、本来のものにはない」と断じており、全くその通りだと思う。