「辻占」登場

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室町時代に入っても夕占の歌は相変わらず詠まれている。

1.『長慶天皇千首』(天授2年[1376])寄櫛恋 長慶天皇*1御製
「ゆふけとふつげのをぐしもひくかたにおもひなされてまつぞはかなき(夕占に使う黄楊の櫛をひく方に気が取られて〔貴方に気を引きながら〕、貴方を待っているのはむなしいことだ)」

2.『熱田本日本書紀紙背懐紙和歌』(永和3年[1377])の祖月法師(生没年不詳)の歌
「いまこんとゆふけのうらをかずかずにおもひあはせて松むしぞなく(今にくるだろうと夕占の占いの結果を数々思い合わせて待っているうちに松虫が鳴く)」

3.飛鳥井雅康*2の私家集『雅康集』(明応年間[1492-1501])
「こよひあふことはたがはじ七夕の八十のちまたにゆふけとふとも(私が今宵逢いに行くことは決して違いはしない。織女と牽牛が逢えるだろうかと七夕の宵に夕占をするようなことがあったとしても)」

三つの歌を並べて見ると、懸詞や七夕の故事を持ち出したりと技巧に走っていて、鎌倉期まで見られた夕占に対する素直な感情の発露も影を潜めてしまっている。もしかすると、この頃貴族の間では夕占の風習が廃ってきたのではないだろうか。
現在使われている「辻占」という言葉は、室町時代後期の天文3年[1534]に編纂された『蒙求抄』の中に見られる。この本は享禄2年[1529]頃清原宣賢が行った唐代の史書『蒙求』の講義を林宗二がまとめたもので、「角は四方の隅ぞ。其角から吹風をみて占をするぞ。日本の辻占の類ぞ」という下りがある。

*1:興国4―応永元年[1343-1394]

*2:永享8―永正6年[1436-1509]