辻占応用の新製品その2

  • 辻占応用の新製品その2

(9)「蛤の辻占」
米の粉で蛤の形を薄く大きく空洞に作り、中に辻占とそれに見合う小玩具を入れて売る。「蛤のがらがら」ともいい、河竹黙阿弥の『女化稲荷月朧夜』(明治18年)にも登場する。[参照:三好一好『江戸風俗語事典』(青蛙房、平成14年)P.217-218
(10)「辻占入吸い物?」
明治32年10月21日に正岡子規ホトトギス発行所にて闇鍋会を実施。メンバーの長老であった内藤鳴雪(1847-1926)が、碗に蛤を入れて湯を注ぐと自然と貝が開き、昆布、辻占、麩、蝦などが出てくる吸い物?を持参。
(11)「辻占箸袋」
登録実用新案第10538号。出願は明治41年8月5日、登録は明治41年10月20日。東京市神田区同朋町22番地の根塚金次郎が、出願人。辻占の紙片は経木のケースに入れられて小楊枝を添えて箸袋に貼り付けられている。材質が経木なのでケースは紙片を取り出す際に確実に破壊され、袋が再利用されることはない。衛生的であるし、箸袋の注文増にも寄与する仕組みになっている。
(12)「辻占入干菓子」
長塚節の写生文『松蟲草』(明治41年)の中に、辻占入干菓子が登場する。場所は岐阜県の養老の滝の茶屋である。

女は余等がすつかり草鞋まで穿いてしまつた時、釜から湯を汲んで小皿に少しばかりの干菓子を出した。釜のあたりは清潔に掃いてあつて釜はちんちんと沸つて居る。其の沸つて居るのは瀧の水である。女は物をいふ事には非常に愛嬌に富んだ少し味噌歯の口を開けて嫣然とする。菓子を一つとつて見ると辻占がはひつて居る。余は其辻占を一つあけて見たら青い字でごぞんじといふまでは読めたが其さきは写りが悪くて分らなかつた。

またフィクションではあるが、川上眉山の小説『奥様』(明治30年)にも辻占入干菓子が登場している。

折しも鉄瓶の湯の沸り出したるに心付き、手近の急須を取下ろして、茶請に引出したるは辻占入の干菓子一つ取つて中を見れば、いづれ其中お礼詣りさ。おや縁起のいヽと、容易く見せぬ笑顔なり。

(13)「珍菓方楽(辻占入面菓子)」
『菓子新報 明治42年9月10日号』の「全国菓子業界著名商家」のリストに、「珍菓方楽(辻占入面菓子)松山市 中野本店」という記述がある。「面菓子」は不明。お面の形をした菓子の事か。
(14)「辻占入風船あられ」
『文芸倶楽部第十六巻第五号』(明治43年)の胡蝶園「よし原の夜の物売り」の中で、辻占入りの風船あられを売る行商人が紹介されている。

由良さんの辻占
辻占売りは十四五の少年で、其の扮装は木綿の黒紋付の衣装に白博多まがひの幅広の帯、上には例の忠臣蔵模様の山道の火事羽織を着て、頭はチヨン髷の大森鬘、足は白い甲掛に白足袋紅鼻緒の草履、白地の手拭で面ない千鳥をして、手に白扇を持て踊るのである、この子の側に附いて綿銘仙の羽織を被てゐる五十格好の老媼さんが三味線を弾いて小唄を唄ふのだ、彼らは一袋たツた一銭の辻占を買てもらツてもやツぱり踊らねばならぬのだが、その代り偶にはたヾ踊りだけを踊らせて半圓乃至三十銭くらゐの御祝儀をくれる好いお客もあるさうだ、一銭の辻占の袋にも数十粒の風船あられが入つてゐる、唄は有触れた由良さんだが、文句の足らぬ処ろなど頓着なくてをかし
「華奢な由良さん手の鳴る方へ…捉まへて酒にせう、捉まへて酒にせう…芸子やお山に手をひかれ…ても粗忽な由良さんぢや」

詳細は別章で述べるが、ここに登場する「辻占売(り)」とは辻占菓子や辻占文句の書いてある占紙を売って生計を立てている者のことを言う。
(15)「辻占入千年結」
第2回帝菓大品評会で3等に「辻占入千年結 愛知県 横井常太郎」が入選。(『菓子新報 明治45年5月10日号』)どのような菓子だったかは不明。
(16)「辻占最中」
神道大辞典』(昭和12年)の「瓢箪山稲荷の辻占」の項に「附近の茶店等で瓢形の最中に辻占を入れたものを売るのは明治末期以後の事である」とある。
(番外)「辻占飴」
フィクションではあるが、巖谷小波の小説『風流・辻占飴』(明治24年)には辻占を中に仕込んだ棒飴が登場する。また、尾崎紅葉の小説『紫』(明治27年)では、飴の袋の中から紅摺の「たのもしいよ」という辻占紙片が出る。
この他、幕末から明治にかけて「辻占」の名を冠した占書が多く出版されているが、これについては改めて紹介したい。