東京の辻占占紙 その2

  • 東京の辻占占紙 その2

明治43年6月の『文芸倶楽部第十六巻第八号』に安田善之助が「松の舎」のペンネームで「吉原の露店」という一文を寄せているが、そこに辻占売の集団スリが登場する。詳細は以下の通り。(文章中に一部不適切な表現があるが、言葉に配慮の無かった時代に書かれたものであり、また、内容の正確性を期すため、あえて発表時のまま掲載することをお許し願いたい)

辻占売とお客の袖の下  
「通ふ千鳥恋の辻占」と粋な媚しい声で唄ふて、廓内を流して歩いた者である、が、今では橋場や今戸辺の裏町の乞食の子供等が紙片(かみきれ)を持つて、お客が露店―おでんやや饂飩屋へ入る姿を見るとゾロゾロと後に随いて来て。「旦那辻占を買つて下さい!お客さん、いい辻占を買つてお呉んなさい!」と袖に縋つて、五月蠅く附纏ふて袖に縋りながら、袖の中の者なぞを掠奪ふ手合があるので、小さな掏摸―、辻占売とは名ばかりの一の物貰ひ乞食の一団である。
▲巡査を鬼の様に恐れる。蟻の如く集れる一団の辻占売重(おも)に五六歳より七八歳迄の年頃で遠目に付人として重に女親である。夫(それ)がつまり巡行の巡査の監視役であつて、辻占売の小僧等と連脈を継けて、監視をして居る。それ故靴音でもすると雲を霞、いつのまにか影も形も姿も消えて仕舞ふ。其機敏さは電光石火、神出鬼没である。彼等は亦よくそれ等を識別する眼が高いのだ。「オイオイ今日は千束さん(巡査の姓)だよ、少しは安心だ。」「俺は横浜さん(巡査の姓)かと思つた。」「今日は甲の部だ、大丈夫だ。」「左様か、夫れなら俺の番だ出懸よう!」と、巡査を恐るることは、鬼の様で亦巧に之を逃げ隠れて居る事は又巧妙である。夫で台屋(妓楼へ料理を入れる家)の庖厨(だいどこ)に来て、台殻と称する残骸を競争して我勝に貰つて帰る、渠(かれ)等の生命を繋いで居るのである。(一部漢字を現漢字で表記)

文中に「紙片(かみきれ)を持つて」とあるが、この「紙片」は小生が言うところの「辻占占紙」だと思う。安田は以前、尾崎紅葉に「瓢箪山やきぬき辻占」を土産に持って行ったことがあるし、彼が集めた辻占紙片が早稲田大学演劇博物館の『近世・近代風俗史料貼込帖』に収録されていることから、辻占占紙と辻占紙片の区別が付く位の知識は持っていたと推測されるからだ。占紙をしつこく販売する、監視役がいる、巡査を見るとすぐ逃げるなどの彼等の行動は、後年の昭和初期の辻占売の行動と何ら変るところがない。