辻占菓子売の業態

  • 辻占菓子売の業態

私見ではあるが、辻占菓子売の業態を以下の3タイプに分類してみた。
1.メーカー直売
3月22日にも取り上げた深川六間堀山口屋の「辻占入りかりんとう」が典型。「本家山口屋かりんとう」の提灯を持った売り子が毎夜、東京の町中を流し売りした。呼び声は「淡路島通う千鳥の恋の辻占、辻占なかのお茶菓子は花の便りがちょいと出るよ。こうばしやかりん糖」(明治に入った頃)、「深川名物ー。甘いーや。カリンー糖、本家山口屋カリン糖」(明治33年頃)。収入の程度はわからないがおそらく歩合給だったのだろう。

2.問屋経由
問屋から仕入れた辻占菓子を行商するケース。
明治40年8月15日付の『菓子新報』の12面に東京・神田の和洋菓子問屋「茂木商店」の卸価格が掲載されているが、ここに「辻占入仕上物 金22銭」(1斤[600g]当たりの価格)とある。丁度、最上級のドロップと同額(並ドロップは14銭)で、ジャンルの近い焼菓子の松風(15銭5厘)と比べても高級な部類に属していた。この商品を小林製菓の辻占煎餅と同じサイズ(1個当たりの重さ7.8g)の辻占煎餅と仮定して計算すると、1斤分の個数は77個、1個当たりの卸値は2.85厘程になる。当時の駄菓子屋の菓子は通常1銭若しくは5厘単位で売られていた*1ので、これをもし5厘で売れば2.15厘(4割3分)の利益になる。当時の駄菓子屋の平均利益は3割*2なので、それより高い収益を上げることができたのではないだろうか。

3.自作自販
辻占尽を業者から購入して、菓子(商品)に添えて販売するケース。
大正時代の関西の川柳同人誌『番傘』には以下のような句が掲載されている。
辻占をつけて鬢附芋を売り よしの*3
鞘豆屋御幣のやうに切っておき 水府*4
前者の場合、あらかじめ切断した辻占紙片を芋を渡す際に包みに一緒に入れたようだ。後者の場合は、紙片の角が繋がって御幣のようになっているものを、その場で1つ1つ引きちぎって袋の中に入れたのではないか。自作自販の場合、辻占尽さえ入手できれば全国どこにいても辻占菓子(辻占付き商品)を売れる利点がある。

*1:「駄菓子探訪記その2」『菓子新報』明治40年8月15日、2面

*2:「駄菓子探訪記その1」『菓子新報』 明治40年8月1日、2面

*3:『番傘第5号』大正3年5月、P.25

*4:『番傘第6号』大正3年8月、P.5