今日の辻占

永島春暁作『辻うらはんだん』より、「山水蒙」。「はらを立せてまたわらはせて そて泣せるぬしのくせ(腹を立たせて又笑わせて、袖泣かせる主の癖)」という都々逸と、「きもをねらしてじせつをまつべし(肝を練らして時節を待つべし)」という評が書かれている。湯呑茶碗と扇子の絵が添えられているが、この都々逸の「主」とは講釈師のような人物を指しているのだろうか?