辻は「異界」の入口、「夕占」、万葉期の夕占

  • 辻は「異界」の入口

「辻」という文字は和製漢字で、道の交差している様を示している。古来から辻は現世と異界の境界と信じられており、そこには神霊や悪霊、妖怪や幽霊が出没した。境界となるのは辻だけではない。橋や門などもそうであった。宇治橋に祭られている橋姫や一条戻橋に出た茨木童子という鬼も境界に出現する諸霊の一例である。昔、行き倒れや変死者が出ると道路の四辻に逆さに埋められ、怨霊となって発散しないよう通行人によって踏み固めることがあったという。基本的には、辻占はこの辻に現れる神霊の力を使って未来を予知する占いで、辻を通る通行人の口を借りて神意が告げられるのだが、その方法は時とともに変化している。

  • 「夕占」

辻での占いを「辻占」と呼ぶようになったのは室町時代以降の事で、それ以前は黄昏時に占いが行われたことから「夕占(ゆうけ)」と呼んでいた。人間の活動時間である「昼」と、異類のものの活動時間である「夜」との境にある黄昏時。この時間帯には両者が遭遇する可能性が高く、「逢魔ヶ刻」という別名もある。よって、神霊と遭遇する可能性が高まるこの時間帯に、異界の入口である辻で占いが行われたのだ。

  • 万葉期の夕占

万葉集*1には夕占を詠んだ歌がいくつか載っており、当時の様子が伺い知れる。その特徴は以下の通り。

1.占う時間は夕刻から宵にかけてであったが、占う場所は辻に限られてはいなかった

巻第四 相聞 (大伴家持*2
つくよには かどにいでたち ゆふけとひ あしうらをぞせし ゆかまくをほり(月夜には門に出てたたずみ、夕占や足占をした。〔恋人の許へ〕行きたいと思って)
ここでは「かどにいでたち」とあることから、夕占は辻だけではなく門前でも行われていたようだ。家屋敷の内外を分ける門前もまた異界との境界で、それは正月に歳神の依代として門松を立てることからもわかる。「足占」がどういう占いであったかは定かでないが、江戸後期の国学者伴信友は著書『正ト考』の中で、「まず歩いて踏み止まるべき目標を定め、『吉』、『凶』の言葉を交互に言いながら歩み、目標の所に達した時に話していた言葉によって吉凶を定める」と推考している。

2.占いに際し、片袖を幣として捧げる事があった

巻第十一 寄物陳思 (読人不知)
あはなくに ゆふけをとふと ぬさにおくに わがころもでは またぞつぐべき(逢えもしないのに、懲りずに逢えるだろうかと夕占をして衣の袖を幣として供えるので、際限なく代わりを私の袖に接ぐことになるだろう)
袖を幣として神に捧げる習俗は当時広く行われ、現在でも「坂でつまづいた時には、袖を切って供えないと悪霊に殺される」という「袖切坂(そできりざか)」の伝承となって各地に残っている。

3.恋愛関係(恋人の来訪など)を占うことが多かったが、それ以外の例もあった

巻第三 石田王が死去した際に丹生王*3が作った挽歌では、石田王の死を逃れるために夕占や石占を行えばよかったと、嘆じている。ちなみに「石占」とは、手にした石の数や軽重、蹴った石の状況によって吉凶を占う方法。

4.占者は後世の様に女性に限られず、男性も行っていた

巻第十一 寄物陳思 (読人不知)
ことだまの やそのちまたに ゆふけとふ うらまさにのる いもはあひよらむ
「やそのちまた」とは、「八十の衢」即ち辻を指す。「辻で夕占をしたところ、『彼女がなびき寄るだろう』とのお告げがあった」という歌で、作者即ち占者は男性である。

*1:成立は8世紀後半

*2:養老2―延暦4年[718-785]

*3:生没年不詳。丹生女王<天平期>と同一人物か?