松永久秀と辻占

戦国時代三好家の重臣として活躍した松永弾正久秀が建てた橋の辻で辻占が行なわれるようになったという伝承が、東大阪市に残っている。

久秀が仕官を求める旅の途上で困窮から元旦の餅も手に入れられず悩んでいたところ、川のほとりの新仏に供えられている餅を見つけて「このままに捨て置いても野犬に食べられてしまうのだから、これを頂戴して大功を立て、出世の暁には幾倍にもしてお返ししよう」と、餅を宿に持ち帰り妻子と新年の祝いをした。出世の後、久秀はその川のほとりに石橋を掛け仮に「大功橋」と名付けた。事情を知らない里人達は、久秀がこの橋の辻で吉凶を占ったと噂し合い、その辻を「弾正の辻」と呼んでここで辻占を行うようになった。これが瓢箪山稲荷神社の占場の起源である。(『瓢箪山稲荷神社由来記』昭和3年 より抜粋要約)

ちなみに現在、「弾正の辻」は「巫女ヶ辻」と呼ばれている。