京阪の辻占菓子売

  • 京阪の辻占菓子売 

明治2、30年代の京都・大阪で「辻占売」というと、辻占菓子を行商する者と、辻占の文句を書いた占紙を歩き売りする者の2種類がいたが、ここでは辻占菓子を売る者を紹介する。
1.「げんこつや」
明治27年発行の『風俗画報第79号』で、安土一好が「浪花拳骨飴売」という記事を寄せているが、そこに「げんこつや」という辻占豆売が登場する。内容をまとめると、次の通り。
(1)販売品
小型の袋に入った豆を販売。値段に応じて数枚の辻占を添える。
(2)辻占紙片
焙り出し式だが時間が経つと白い紙に戻る。
(3)活動時期
明治24年初夏〜明治25年冬。
(4)出現地
大阪ミナミの遊郭から市内へ広まる。
(5)服装
浅黄地石持(こくもち)の衣装をおちょぼからげにして芝翫茶色の帯を締め、白の脚絆を着けて草履を履く。緋金巾の丸掛紐で草刈籠を背負い、体の正面には紙屑籠のようなものを付けている。背中の籠には辻占豆を、前の籠にはお金を入れている。竹の皮の笠を被るが、その笠の上には綿花を付けてあって雪を模している。右手には鳴子を持ち、左手には「田舎名物げんこつ」と書いた番提灯を持っている。(提灯は夜間遊郭を流していた時の名残り)
(6)呼声
「アー、イーコトナア、コレ田舎の姉さん○○○○○○○○ゲンコツ」
「アー、出たり消たり。消たり出たりゲンコツ、アーゲンヤノコツヤノコツコツ、アー、ゲンコツ」
鳴子をガチャカヂャ振り行き、子供などが戯れに「ゲンコツ」と言うと「アイタタ」などといって愛嬌を振りまく。
(7)全盛時の状況
同じ扮装をした者が2人組、3人組になって昼間市内の至るところに出現。神社、遊園地等にも現れた。

2.辻占昆布付き鞘豆売
明治30年の『風俗画報第148号』には、春斎主人の「京都売物屋の風俗」という一文があるが、そこに辻占昆布付きの鞘豆を売る行商人が登場する。

鞘豆売
清風颯々たる夏の夜三條橋辺にては四條先斗町木屋町より花妓を携へて納涼に来れる客とみれば『ヘイー今日は湯煎豆(ゆでまめ)を』と朱塗の小盆に盛り辻占昆布(昆布の中に辻占の文句を記せし紙を入る)を添へて売すヽむ。今有名なるは二人あり、一人は女にて男姿をなす、お駒安平とて愛顧客によばれて唱ふる声『エー鞘豆ワイーゆてさや豆ー』、江戸染の至りて大模様の浴衣に、白地紺献上の帯を大きく結び尻はし高くからげ小籠に豆を入れ、長提燈に己れの名を閑亭流に書したるを荷籠にさして夕暮ころより此街を売歩く。

鞘豆に塩味の利いた昆布を添えて食べ易くし、更に辻占の紙片を付けてお客の心を和ませる。商人の工夫と気配りが感じられる。