大正以降の辻占菓子その2

  • 大正以降の辻占菓子その2

(6)その他の辻占菓子
・「小物品入り菓子」(登録実用新案第126499号)
出願:昭和2年1月19日  公告:昭和3年9月29日
出願人 考案者 大阪市天王寺区逢阪上之町八十七番地 村上 齊
干菓子・生菓子に凹部を作りそこに小物を入れ、シールを貼って封をする方法。

・「辻占菓子」(登録実用新案第186375号)
出願:昭和7年12月3日  公告:昭和8年7月14日
出願人 考案者 大阪市東区本町一丁目十五番地 梶 與四郎
作り物の鳥獣に巻き込んだ紙片をくわえさせる構造。辻占紙片のインキや臭気が菓子に移ることを防ぎ、同時に容易に紙片を取り出せる利点がある。明細書の図に「廿八吉 ひやうばんたかし はんじゃうする」という紙片の絵があるが、これと同一のものが大正期の辻占尽(『新文句辻占ら』大阪市南区松屋町三十九番地 榎本松之助 大正3年発行)の中にある。

・「菓子」(登録実用新案第217805号)
出願:昭和9年11月29日  公告:昭和10年8月17日
出願人 考案者 石川県鹿島郡七尾町字一本杉町六十四番地 南 精治
生菓子に辻占紙片を添える場合、餡や餅の湿気から紙片を守ることがポイントになる。ここでは紙片を笹の葉で巻いて菓子に挿し込む方法を取っている。

・野村定次郎の辻占菓子
明治45年から大正2年にかけて、野村定次郎が辻占菓子の意匠登録を行っている。それは、次の3件。
「辻占菓子の形状」(第7953号)出願:明治45年6月  公告:大正2年1月9日
「辻占菓子全体の意匠」(第7954号)出願:大正元年8月  公告:大正2年1月9日
「辻占菓子模様」(第8782号)出願:大正2年8月  公告:大正2年12月20日
住所は、前2件が「東京府豊多摩郡内藤新宿町二丁目四十四番地」で、最後のものが「京都府紀伊郡深草村大字福稲小字開土口十八番地の一」となっている。出願人が同姓同名であるおそれもあるが、野村氏が大正2年1月から8月の間に現在の東京都新宿区から京都府伏見区開土口町へと転居したと考えるのが普通であろう。開土口町には伏見稲荷大社から稲荷山へと向かう参道がある。現在伏見稲荷周辺で辻占煎餅が作られているが、大正の初めに東京の辻占煎餅の影響を受けた可能性がある。

(7)焼芋
大正3年、関西の川柳同人誌『番傘第五号』に「焼芋」という題で、
辻占をつけて鬢附芋を売り よしの
の句がある。当時、焼芋に辻占紙片を添えて売る者がいたようだ。

この他、大正4、5年頃、京都の食玩問屋豊田屋が辻占入りガムを取り扱ったという記述が、『東京玩具商報第512号』(昭和29年11月)の「明治大正の玩具を語る座談会(3)小物玩具の巻」の中に見えるが、確証が得られないためここで紹介するに留める。