大正以降の辻占占紙 その1

tsujiurado2008-05-08

  • 大正以降の辻占占紙 その1

前章で述べたように日露戦争以降辻占菓子売は次第に姿を消していき、占紙を売る辻占売が増えていった。そのため辻占占紙の需要が高まり、瓢箪山稲荷神社だけではなく、民間の業者も占紙を手掛けるようになった。
1.「阿部清明獨判断」(法令館発行、大正3年、小生所有)
袋の表(画像左)の天地に「百發百中」、「心迷打破」、裏(画像右)には「精神の統一を行ひ信して占へハ的中する事如神」、「高島神易館本部蔵版」と記してある。「阿部清明」とは「安倍晴明」の事だろう。晴明は2006年5月17日の「辻占の行われた場所」でも紹介したが、『本朝世事談綺』の中で辻占の起源とされた人物。瓢箪山稲荷神社の辻占占紙の売れ行きにあやかろうとした者が、瓢箪山ではなく、伝説の陰陽師安倍晴明をバックして、占紙の販売を図ったもようだ。
中には、「第十八 吉凶はんじ辻占(小吉)」が入っており、占紙の下方には、「編輯兼発行者 大阪市南区松屋町三十九番地 榎本松之助」、「印刷者印刷所 大阪市西区阿波□上通二丁目一六九番 上野惣太郎」、「発行所 大阪市南区松屋町末吉橋北 法令館」とある。判断項目は右から、運気、縁談、待人、今日、奉公、旅立、失物、転宅、走人、恋愛、試験、信用、世評の13項目。これに都々逸が添えられている。袋に「高島神易館本部」とあるから、「第十八」とは易経の六十四卦の第十八「山風蠱」を指すのかと思えば、そうではないようだ。運気のところを読むと「地の中に玉がうずまつて居るかたちです。今は苦労のたへまないでせうが、そも少しの間」とあり、これは「山風蠱」というよりは、第三十六の「地火明夷」の説明に近い。占紙の番号と易の卦の順番との間には、関連性は無いようだ。
2.「吉凶はんじ辻占」(高島神易館、大正5年、東京・中山榮之輔氏蔵)
川崎市市民ミュージアムが平成13年に開催した企画展『呪いと占い』の図録P.75にその写真がある。
袋の表の天地に「禍福豫言」、「命中如神」と小さく記されていて、中身は「おみくじ型の辻占」で「末吉」のもの。(中の占紙は小生未見)「精神の統一を行い、信じて占えば的中すること神のごとし」という記載もあるという。袋の表のデザインが1.とほぼ同じことから、「阿部清明獨判断」を手直しして、袋の中に入っていた「吉凶はんじ辻占」の名前を袋のタイトルに据えたのかもしれない。