大正以降の辻占占紙 その5

tsujiurado2008-05-28

  • 大正以降の辻占占紙 その5

9.「モダーンアブリ出シ辻占」(はりまや商店、小生所有)
画像左の辻占占紙。裏には「此のあぶり出し辻占は思ふ事を書いて火にあぶれば答へ出る」、「大阪市北区吉山町五三 発売元 はりまや商店」とある。(一部漢字を現漢字で表記)袋の表の京美人の写真と「遊戯カード」のうたい文句に引かれて買い求めると、中にはあぶり出しの紙が3枚入っているだけ。完全なコケオドシである。小生の手元にあるものはいずれも未使用で、「キット有望」、「きづかいなし」、「だめです」という辻占文句が経年変化によって浮き出ている。「モダ−ン」とあるから、昭和初期に作られたものか?
10.「やきぬき辻占」(はりまや商店、小生所有)
画像右の辻占占紙。裏には「此の美人やきぬき辻うら万一やきぬけざる時は御取替申上可く候」、「大阪吉山町 然ゆる小判型発売元 はりまや商店」とある。(同上)中の占紙には辻占文句と女性の写真がペアで6組配されており(画像は明日)、中央の「火」と書いてある部分に点火すると火が走って周囲の6人のうち、1人の部分を焼き抜く仕組みになっているようだ。「万一やきぬけざる時は御取替申上可く候」とあるから、中には不良品もあったのだろうが、返品先の住所が「大阪吉山町」だけで本当に荷物は届いたのだろうか?上の「モダーンアブリ出シ辻占」には住所がしっかり書いてあるだけに、誠意が少し足りないように思える。
次章で詳述するが、昭和8年に『児童虐待防止法』が施行されて辻占売を含む児童労働に法の網が被せられるようになると、それまで子供を雇って街で占紙を売っていた使用者(主に街のチンピラ達)は、当局の取り締まりを畏れて直接辻占売を抱えることをやめ、代わってに子供に占紙や炙り出しを卸売りして間接的に売り上げ金を巻き上げる手段を採った。それに伴い、私的に占紙や炙り出しを製作して調達コストを押さえようとする動きがあったと考えられる。この時期かなりの種類の辻占占紙が世に出たことだろう。しかし、占紙は一見してすぐ捨てられる運命にあるので、当時のものはほとんど残っていない。