進化する辻占自販機

tsujiurado2008-05-30

  • 進化する辻占自販機

占紙の販売方法には人を介する方法の他に、自動販売機によるものがある。その始まりについては4月27日の「東京の辻占占紙 その1」で取り上げたが、その後、辻占の自販機はどのような進化を遂げたのだろうか?特許関連資料を元にして、その道筋をたどってみよう。
1.「自働双眼鏡辻占出装置」(登録実用新案第4862号)
出願:明治39年12月27日  登録:明治40年3月15日
出願者 大阪市南区西櫓町三十六番地 西納勝平方寄留 黒木信吾
「辻占」の名を冠した最古の実用新案。「覗きからくり」にあるお金の投入口に硬貨を入れると、占紙の巻物が景品として1つ出てくる仕組みになっている。(画像参照)出願者の黒木信吾は元東京の発明家で、本籍は宮崎県都城市(当時は都城町)。明治38年にお燗をしたお酒の自動販売機の専売特許を取得し、歌舞伎座前をはじめとする東京市内の盛り場に設置した。当初は物見高い連中が黒山の人だかりをなしたが、5銭硬貨を投入してから温められた酒が出てくるまでの時間が長く、しかも出が悪かったため、気短な江戸っ子達からそっぽを向かれてしまった。彼は仕方なく東京に見切りをつけ、大阪の人なら向くだろうと、西納商会の技師に雇われて盛んにこの機械を製造したという。*1黒木は当時流行していた大阪の瓢箪山稲荷神社の辻占と東京の占い自販機を巧みに組み合わせ、覗きからくりの機構に応用したのだろう。ちなみに、黒木が発明したお燗の自販機を大阪で手に入れた東京の発明家が、これを改良して清涼飲料水の自販機を作り出し、東京市内で大成功を納めたという。もし黒木が東京でお燗ではなく、清涼飲料水の自販機を手掛けていたら、「自働双眼鏡辻占出装置」は生まれなかったかもしれない。

*1:参照:迎月子「人手の要らぬ商売(自働販売機の働き振り)」[明治43年『文芸倶楽部第十六巻第九号』に収録]