第二次大戦後の辻占占紙

tsujiurado2008-06-03

  • 第二次大戦後の辻占占紙

戦後の混乱期、辻占占紙は困難に直面した。紙は統制品となり、人々は日々の暮らしでせいいっぱい。辻占売から占紙を買うゆとりなどなかった。また、戦時中の「神国日本」の反動からか、戦後、日本人の信仰心は希薄になり、辻占そのものを「非科学的な迷信」と見るようになった。それでも大阪は瓢箪山稲荷神社の地元なので、昭和24年には辻占売が復活している。*1一方東京では、昭和30年に入って辻占売が目に付くようになるが、それも長くは続かなかった。33年の赤線廃止によって色街の客がいなくなり、有力な販売先を失った辻占売は徐々に転業していった。辻占自販機の方も35年頃を境に、入れられる占紙が辻占のものから星占い等のものへと代わってしまった。
本日で辻占占紙の章は終わるが、締めとして最後の辻占自販機の画像を添えておく。
「辻占又は籤等を放出する器械」(実用新案出願公告昭35−17906)
出願:昭和33年11月8日 公告:昭和35年8月1日
出願人 考案者 東京都北区稲付西町2の6 小路正六
器械のてっぺんは灰皿になっており、上部のスリットに硬貨を投入して、下のレバーを水平にスライドさせると、穴から辻占占紙(又は籤)の筒が1個放出される仕組みになっている。まさに、高度成長期に喫茶店のテーブルで見かけた占い器そのものではないか。

*1:参照:「辻占売りの少女−夜の綴方教室−」[『アサヒグラフ 昭和24年1月26日号』に掲載]