絵師の暮らし

  • 絵師の暮らし

明治34年3月発行の『文芸倶楽部』*1に、菱花生という方が「浮世絵師」という一文を寄せており、当時の絵師の暮らしぶりが報告されている。参考までにその一部を紹介しよう。
1.絵師が入門して独り立ちするまで
<入門>雑用6ヶ月
↓ 
<敷写時代>(線・図形→模様物→人物花鳥)最低半年
型絵の上に紙を置き、上からなぞる。最初のうちは独習だが、人物花鳥の段階まで進むと師匠が直しを入れてくれるようになる。
  ↓
<おもちゃ絵時代>1年前後
手本を脇に置いて臨模することにより画力をつける。腕が上がったら、ままごとに使う姉様や所帯道具の絵の板下絵を描く。3、4枚新板が出たところで、師匠から画名をもらい、「新板○○づくし 某門××」と署名を許されるようになる。この段階までくると、師匠の錦絵の「色板」を作る手伝い(「色ざし」という)をするようになる。錦絵は十数種の色別の版木を重ね摺りして作られる。師匠の指示に基づき師匠の下絵から各色用の版木の下絵を作っていくのが「色ざし」。見落としで色が抜けることを「色落」と言い絵師の恥辱となった。
  ↓
<模様がき時代>
師匠の錦絵の人物の着物の模様を描くようになる。その傍らおもちゃ絵や極安ものの草双紙の絵を数年描く。大抵の者はこの時期辛抱できずに転職してしまう。
  ↓
<年期明け前>
追々手腕が上達すると、師匠の3枚続きの錦絵に遠景や小人物を描かせてもらえるようになり、「門人××助筆」と絵に入る。こういう売名を通じて問屋に顔なじみを作り、大錦絵の一板を出す。問屋から出す際には通常「差金」といって木板の彫刻料の半額若しくは全額を自分持ちにして売り出してもらうことが多い。僥倖により錦絵が400枚以上売れて再板するようになると、そこでようやく画料を取って絵を描かせてもらえる。
  ↓
<年期明け>(入門から7〜10年) 

2.収入  
明治維新前と明治16年頃の状況は以下の通り。
<維新前>
・大錦3枚物 源氏絵など手の込んだもの 1分、並半身のもの3朱
・合巻 上中下3冊 2分、切付合巻15丁もの 2朱
・おもちゃ絵 200文

<明治16年頃>
・大錦3枚もの 全身もの 1円〜1円50銭、4人立ち役者半身絵 75銭〜1円(1円は豊原国周レベル)
・団扇絵 女絵2人立ち半身 50銭(役者絵も同じ位)
・合巻 上中下もので並 3〜5円、切付半紙四半裁15−20丁銅版もの 武者絵1枚 5銭
・おもちゃ絵 並 25銭、名人 歌川芳藤で50銭以上(緻密なもので75銭)

辻占絵をおもちゃ絵の一種と仮定すると、緻密な絵柄から、画料は明治16年当時37銭前後(並25銭の1.5倍)か。明治14年の巡査の初任給が月6円*2だから、絵師の暮らしが苦しかったことは容易に想像できる。

*1:『文芸倶楽部第7巻第4号』P.195-206

*2:週刊朝日編『値段の明治大正昭和風俗史』朝日新聞社、昭和56年、P.205