吉原の辻占菓子売

tsujiurado2009-02-04

  • 吉原の辻占菓子売

辻占本『はうた辻占せんべい』の序文には、吉原の辻占菓子売の絵(画像)が添えられている。顔は見えないが服装から成人の男性が、辻占売につきものの提灯の代わりに「辻占」と書いた扇子を持ち、「辻占せんべい」と書かれた箱を肩から下げている。
1.提灯について
不夜城と呼ばれた吉原の中を提灯を付けて歩く必要はないが、もしこの男が廓外から来た者なら暗い夜道を提灯無しで来たとは思えない。おそらく、廓内に辻占煎餅を製造する店か辻占煎餅を保管してある営業所があって、そこから煎餅を持って来て売っているのだろう。
2.辻占煎餅の発売元について
もしこれが遠月堂製だったら、浅草門外(今の柳橋近辺)から船を使って大量輸送されたのだと思う。ただ、廓内には竹村伊勢という巻煎餅の名店があり、こちらで辻占煎餅を製造していた可能性もゼロではない。2008年5月27日の辻占短信でも言及したが、竹村は銘菓「最中の月」のおまけとして『辻占おたんちん』を製作している。同業者が自分の縄張りの中で大儲けするのを黙って指をくわえて見てはいなかったろう。自分のところで作るか、遠月堂と業務提携して販売を代行するなどの対応をとっていたのではないだろうか。
3.売り手が成人男性である点について
明治時代、成人の男性が生業として辻占売をすることは珍しかった*1が、街商が元気だった幕末期にはそうでもなかったのかもしれない。
ちなみに、この序文を書いたのは杉之本鈍通。仮名垣魯文の別号である。

*1:2008年4月6日の「東京の辻占売」参照