乃木将軍と辻占売 その2

tsujiurado2014-02-14

今越翁は、幼時辻占売をして家計を助け、長じては金箔職人となり、精進の結果、昭和41年に滋賀県無形文化財第一号に指定された方です。(昭和49年3月没)
以下、今越翁の口述伝から辻占売の記述を抜粋して紹介します。*1
 
 ・加賀前田家で御殿の料理方を勤めていた祖父が明治維新を機に料理屋を開業、「御殿料理」と呼ばれて繁盛していた。
 ・祖父が亡くなり、後を継いでいた父が急病で明治21年9月に死亡。翌年正月には母が残った資産を金に換えて出奔してしまい、今越翁は6歳で祖母、弟、妹を養わなければならなくなった。
 ・住まいは以前店で働いていた人から一室を提供されたが、食費など生活費が必要なため翁は辻占売を始めた。
 ・辻占(おみくじのようなタイプ=辻占占紙か)は2個で1厘で仕入れ、棒飴、かんかん飴、松風やき、などと共に1個1厘で売った。
 ・呼び声は「辻占や飴棒ー」。胸に占紙と飴棒を入れた木箱を抱えていた。
 ・昼は魚の小売り歩き、夜は辻占占紙と飴棒売りをして毎日20銭を稼ぎ家族4人の暮らしを支えた。(もちろん学校など行っていない)
 ・地元では友達や顔見知りの人に見られてきまり悪い思いをするので、わざわざ遠くの町まで歩いて売りに行った。帰宅は毎晩11時か12時になった。
 ・明治24年3月18日の夜の事、道で乃木将軍に会う。将軍は翁の身の上話を聞いていたく感心し2円の入った紙包みを与えた。
 ・その時の人力車の車夫がやりとりを新聞社へ知らせ、記事となった。
 ・新聞記事を見た隣家の人が地元で商売するように勧め、地元の町内・遊廓などで占紙を売るようにしたところ、父の知り合いなどがかわいそうにと、10銭、20銭とお金を下さり、しばらくの間に相当なお金ができた。
この今越翁と乃木将軍のエピソードはその後昭和初年になって「乃木将軍と辻占売の少年」という題で講談、浪花節などを中心に脚色されて、様々なレコードが発売されました。(画像は天光軒満月『浪花節 乃木将軍と辻占売』(キリンレコード))

*1:竹内将人『県無形文化財第一号の今越清三朗翁の生涯 往年の辻占売りの少年』(自費出版、平成2年、国会図書館蔵)