瓢箪山稲荷神社と辻占占紙 その4

tsujiurado2008-04-26

瓢箪山稲荷神社のやきぬき辻占は、いつ頃発明されたのだろうか?尾崎紅葉の日記『黄梅日録』を見ると、明治36年6月13日に、紅葉が関西方面の新婚旅行より帰ってきた安田善之助(後の安田財閥二代総帥)から「瓢箪山やきぬき辻占」2袋を土産としてもらっている。よって、やきぬきの占紙の発明はそれ以前ということになる。また、当時のやきぬきのメカニズムを推測する上で、興味深い話がある。4月4日の「辻占入り落花生」の所で簡単に触れたが、飯尾哲爾(静岡、明治27年生まれ)が、幼時に浜松で辻占入り落花生を購入した話を郷土研究誌『土のいろ第七巻第一号』(昭和5年1月)に寄せている。詳しくは以下の通り。

稲荷のみくじ
我等幼時のこと。今時でも、浜松では落花生を三角袋へ入れて売ってゐるが、我等の幼年時代からのことである。今では、その袋の中から辻占乃至活動俳優の写真が出るが、昔は、大体上図(画像参照)のやうなみくじが出た。図柄は今はっきりとは記憶して居ないが、先づ大体は上記のやうなものと思ってよい。□の中には、お約束の占(ひ)言葉―待(ち)人来る―縁談ととのふ―等の語が書いてある。今線香の火又は煙草の火を、狐の口の宝珠に点ずると、火は進んで或言葉の周囲を焼き、□を焼(き)落(と)すのである。之は硝石が塗布してあるため、火が進むのであるこの占(ひ)も今はもうない。

彼の「幼時」を10才と仮定すると、浜松で焼き抜きの辻占紙片が目撃されたのは明治30年代後半となる。挿し絵には「おいなりさんの口の玉に火をつけべし」、「河内へうたん山」と記されており、焼き抜きの方法は現在瓢箪山稲荷神社で授与されているものに極めて似ている。この辻占紙片は、当時の瓢箪山のやきぬき辻占を模倣して作られたのではないだろうか。