大正以降の辻占占紙 その3

  • 大正以降の辻占占紙 その3

5.「出雲たより御辻占」(法令館発行、大正2年、川崎市市民ミュージアム蔵)
中町泰子さんの『狐がくわえた辻占 移動と芸による占紙販売』(『見世物4号』見世物学会・学会誌 2007年11月に掲載)の中で紹介されている占紙。袋の表に「出雲たより御辻占」、「美人肖像入」、「新文句都〃逸入」と記し、筮竹と天眼鏡の絵が添えてある。中の占紙は4.の「神易辻占」とほぼ同じつくりになっていて、発行日は大正2年3月25日。編輯兼発行者として榎本松之助、印刷者印刷所として上野惣太郎の名が見える。これは「阿部清明獨判断」の時と同じメンバーだが、占紙の形式は両者で大きく異なっている。法令館がこれらの占紙をどういう基準で使い分けたのか?これは今後の研究課題としたい。「出雲たより」とは、縁結びの神様である出雲大社の神徳にあやかろうとして付けたネーミングだろう。
6.「生駒聖天やきぬき辻うら」(昭和期のもの、東京・中山榮之輔氏蔵)
企画展『呪いと占い』の図録P.75で紹介されている。袋の表に「鳥居」と「大根」の絵が描かれ、「聖天 やきぬき辻うら」の表書きの周囲には、「運勢」、「縁談」、「相生」、「待人」、「吉凶」、「判断」と記されている。おそらく占紙の判断項目の一部を列記しているのだろう。奈良県生駒市宝山寺、通称「生駒の聖天さん」は、生駒山をはさんで瓢箪山稲荷神社とは反対側にある。延宝6年(1678)に宝山湛海が古くからの修験場であったこの地に歓喜天を祀ったのが始まりで、現在、商売繁盛にご利益があるとして全国的にその名を知られている。歓喜天は男女2神の像が抱擁している形で表わされることが多く、夫婦和合、子授けの神としても信仰される。出雲大社同様「恋の辻占」にふさわしい神様である。