tsujiurado2012-02-10

「とらやの羊羹」でおなじみの株式会社虎屋さんが所有する雛人形、雛道具のコレクションを南青山の根津美術館が2月25日(土)から4月8日(日)まで展示するという案内をいただきました。6年前にも同じ企画が行われたのですが、その時拝見した精巧な人形や道具たちが昨日の事のように思い出されます。
3月3日(土)には虎屋文庫研究主幹の中山圭子氏による「雛祭りのお菓子」の講演会も予定されていますので(事前予約要)、御興味のある方は根津美術館のサイト(http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/next.html)を御覧下さい。

tsujiurado2011-11-25

グラフィックデザイナーで縁起菓子研究家の溝口政子さんと虎屋文庫の中山圭子さんが共著で『北海道から沖縄まで 福を招く お守り菓子』という本を出版されました(講談社、税別1500円)(写真)
辻占菓子についても16ページを費やしていろいろ書かれていますので、ご興味のある方はご一読下さい。尚、小生のコレクションも一部紹介されています。

膝栗毛滑稽辻占 その34

歌川重政画『膝栗毛滑稽辻占』は十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の二次創作である。32コマ中18コマ、川崎、戸塚、藤沢、平塚、小田原、沼津、吉原、蒲原、藤枝、嶋田、金谷、掛川、日坂、袋井、浜松、舞坂、新居、藤川の絵が原作に由来している。このうち原作通りの場所に描かれたものは藤沢、小田原、蒲原、嶋田、金谷、掛川、袋井、浜松、舞坂、新居、藤川。ずれた場所に描かれたものは戸塚、沼津、吉原、藤枝、日坂。川崎、平塚は大きく離れた場所(前者は赤坂宿の手前、後者は日永の追分)での有名なエピソードを借用している。残りは重政のオリジナルであるが、原作では通過した宿場で休んだり、泊まったりと不自然な気がする。これは師・歌川広重の『東海道五十三次』に倣って各宿場を描こうとしたからだろう。重政はこの錦絵を発表した翌年に三代広重を襲名するが、その野望を胸に秘めながら製作に当たったのだろうか?藤枝と日坂のコマを入れ替えて、「こゝろの駒がくるひだす」という添え文を日坂のコマにあてがっているが、そういった実験も野心の反映に思えてくる。

膝栗毛滑稽辻占 その33

tsujiurado2011-11-12

歌川重政画『膝栗毛滑稽辻占』最終回の第32コマは藤川。喜多さんが宿場のはずれの家にいた娘*1の手をつかんだところ、娘が腕にしがみ付いて離れない。物音に気付いた娘の父親、弥次さんを交えて一騒動起こすというもの。添え文は「わたしやおまへにぼつとした(私ゃお前にぼっとした)」。弥次さんが父親に喜多さんも心を病んでいると嘘をつき、喜多さんが錯乱する芝居を打って窮地を逃れるが、この文句は喜多八のものであろうか?それとも娘のものであろうか?

*1:実は心を病んでいた

膝栗毛滑稽辻占 その32

tsujiurado2011-11-11

歌川重政画『膝栗毛滑稽辻占』第31コマは新居。添え文には「あらゐきよめしこのからた(洗い清めしこの体)」とあるものの、船中の人々は皆鼻をつまんでいる。舞坂〜新居の船に乗っていた蛇遣いについて、原作では「としのころ五十ばかりの、ひげむしやむしやとしたるおやぢ、いかにも、あかづきたるぬのこをきたるが」*1と述べているので、この絵は先の乗り合い船のエピソードを描いているのかもしれない。

*1:参照:(『新編日本古典文学全集81 東海道中膝栗毛小学館 1995年 P.178