「淡路島通う千鳥の恋の辻占」考(妄想)

・「淡路島通う千鳥の恋の辻占」考(妄想)
人によく、「辻占売の呼声に『淡路島通う千鳥の恋の辻占』というのがありますが、その由来について何かご存知ですか?」と尋ねられる。残念ながら、その由来について記した記録には未だ巡り逢えていない。「淡路島」とあるから、関西方面発祥の呼声かと思えばさにあらず、上方では「河内瓢箪山辻うらや」とか「電信辻うら早わかりゲンコツー」という呼声*1が一般的だった。
では江戸で、この呼声はどのようにして生まれたのか?以下の説は小生の妄想だが、今後のタタキ台としてここに置いておく。
件の呼声が成立するまでには、次のようなプロセスを経たのではないだろうか。
(1)商品名の連呼
「辻占〜、辻占〜」(例、「きんぎょーえ、きんぎょー」)
(2)商品説明の付加
「恋の辻占〜」(例、「ものほしー、さおだけー」)
(3)営業地域の拡大(遊郭内→郭外への進出)に伴い、新規顧客(遊郭へ向かう道すがらの男性客)へアピール
「通う衢(ちまた)の恋の辻占〜」
(4)一般人を顧客にするために、「色街」を連想させる呼声を改良
「衢」と「鵆(ちどり)」の字面が何となく似ていることから、洒落で「衢」を「鵆」に置き換え、そこに百人一首で有名な「淡路島 通う千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」(源兼昌)を組み合わせ、
「淡[路]島通ふ鵆、恋の辻うら、辻うら豆」(清水晴風『街の姿』に出てくる幕末の辻占売の呼声。2008年3月22日の「辻占雑記帳」を参照の事)
(5)後に、「鵆」が「千鳥」となり、「淡路島通う千鳥の恋の辻占」となる。
宵の町を流し売りする辻占売と百人一首の夜鳴く千鳥を組み合わせることによって、夜間、この辻占売の呼声を聞いた者は、呼声に対して「騒音」とは感じず、むしろ「風雅」な感情を抱いた。(4月6日掲載の『文芸界第七号』(明治35年)の三島霜川の一文を参照の事)
もし、騒音対策まで考慮してこの呼声が作られたとしたら、その文案を考えた者は優秀なコピーライターとして今日でも立派に通用すると思う。

*1:川崎巨泉「街頭の呼声」[『上方 9号』(昭和6年9月)]に対する濱野寸泉による追加分[『上方 12号』(昭和6年12月)、P.1295]より