2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「いまにたよりがありますよ(今に便りがありますよ)」。ここには飛脚箱が描かれているが、飛脚制度は郵便が政府の独占事業となったため、明治6年9月に禁止となった。よって、これが描かれた時期は明治4年から6年にかけ…
辻占と辻易者 寛政元年[1789]、新井白蛾は随筆『闇の曙』で当時の俗信を厳しく批判しているが、辻占については次のように述べている。 辻占といふは、むかし婦人子供輩の翫びし事也。拾芥抄などに見へたり。今神社仏寺などの門前、或は川辺などに出てうら…
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「そんなにおあんじでないよ(そんなにお案じでないよ)」。挿絵は、恋に悩める遊女であろうか。
『艶道通鑑』と『本津草』に見る辻占 正徳5年[1715]、神道家増穂残口によって書かれた『艶道通鑑』神祇之巻十二にこうある。 黄楊の櫛を持って道祖神を念じて、四辻に出て自分が思っている事が叶うか否かを占う。 「辻や辻四辻がうらの市四辻 うら正かれ…
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「本もふはもふとげましたよ(本望はもう遂げましたよ)」。挿絵は、『忠臣蔵』の討ち入りの際に使われる火事装束。
松永久秀と辻占 戦国時代三好家の重臣として活躍した松永弾正久秀が建てた橋の辻で辻占が行なわれるようになったという伝承が、東大阪市に残っている。 久秀が仕官を求める旅の途上で困窮から元旦の餅も手に入れられず悩んでいたところ、川のほとりの新仏に…
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「おまへのためにしんじんしているよ(お前のために信心しているよ)」。挿絵は梅干しをのせた白いご飯か?なまぐさものを避けて、精進しているのだろう。
「辻占」登場 室町時代に入っても夕占の歌は相変わらず詠まれている。1.『長慶天皇千首』(天授2年[1376])寄櫛恋 長慶天皇*1御製 「ゆふけとふつげのをぐしもひくかたにおもひなされてまつぞはかなき(夕占に使う黄楊の櫛をひく方に気が取られて〔貴方…
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「むかれないよふにおしよ(剥かれないようにおしよ)」。タケノコの絵が添えられているが、「遊郭に入れ込んで、身ぐるみはがされないように」という意味の警句。
夕占と女性 鎌倉時代末に成立した百科事典的雑録『拾芥抄』上本 諸頌の項にも、夕占の記述がある。 「フナトサヘユフケノ神ニ物トヘバ道行人ヨウラマサニセヨ」 児女子が言うには、黄楊の櫛を持ち、女三人三辻に向かい夕占をする。又午歳の女は午の日にこれ…
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「まだ月夜もあるからよ」。街燈がなかった明治の初め、月のない晩は通行人に顔が見えないため、密会には好都合だった。そんな晩に相手と逢えなかった者に贈る言葉。
複雑化する夕占 鎌倉時代に入ると、夕占は複雑な呪術として化していった。平安末期の算博士三善為康の撰と伝えるが実は鎌倉末期に編纂された辞典『二中暦』の九巻呪術の項に、夕占の記述がある。 「ふなとさへ ゆふけのかみに ものとはば みちゆくひとよ う…
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「むまいことかたんとあるよ(うまい事がたんとあるよ)」。「うまい」を代表して鰻の蒲焼きが描かれているところが妙味。江戸の辻占らしくてよい。
平安時代後期の夕占 平安時代後期になると夕占の占法に変化が起こり始め、占いの際に黄楊の櫛を使うようになる。 『久安百首』(久安6年[1150])の崇徳院*1の御製 「さしぐしもつげのはなくてわぎもこがゆふけのうらをとひぞわづらふ(挿し櫛はあるが黄楊…
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「じつがあるならしもかれみたさ(実意があるならしも彼見たさ)」。「彼」は古くは男女ともに指し、ここでは女性のこと。しっかりとつきあう覚悟もなく、顔見たさで女性を指名する遊客があるよ、という意。
『大鏡』*1に見る夕占 『大鏡』五巻に、藤原兼家の妻・時姫が若かった頃、二條の大路に出て夕占をした逸話が出てくる。それによると、道を一人で歩いてきた白髪の老女が彼女の前で立ち止まり、「なにをしておいでですか。もし、夕占をなさっているのですか。…
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「きつといろができるよ(きっと恋人が出来るよ)」。明治42年に発行された『俗語辞海』(集文館)を見ると、「いろ」には「情人」という字が当てられている。「恋人」よりなまめかしい感じがして、色街の香りがそこはかと…
辻は「異界」の入口 「辻」という文字は和製漢字で、道の交差している様を示している。古来から辻は現世と異界の境界と信じられており、そこには神霊や悪霊、妖怪や幽霊が出没した。境界となるのは辻だけではない。橋や門などもそうであった。宇治橋に祭られ…
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「今にうらかぜかふひてくるよ(今に浦風が吹いて来るよ)」。明治初めの船は帆掛け船が主流だったので、風が吹かないことには船が動かなかった。「待てば海路の日和あり」といったところか。
加賀吉版『新板こゐの辻占』より「あとではつかしいよ(後で恥ずかしいよ)」。おならを○○で表現しているのが微笑ましい。
試みに「辻占」を辞書で引くと、次のような意味が出ている。 道の辻に立って通行人の言葉を聞き、物事の吉凶を判断する占い。 偶然起こった物事を将来の吉凶判断のたよりとすること。 紙片に種々の文句を記し、巻煎餅などに挟み、これを取ってその時の吉凶を…
平成8年から辻占(つじうら)の研究を初めて、早11年目。最近忙しくて紀要作りに割ける時間がめっきり減ったので、昨今はやりのブログを使って研究成果をお伝えしようと思う。関係者にはこの場を借りて深くお詫びしたい。尚、当面は辻占についてご存じな…
加賀吉版『新板こゐの辻占』(歌川周重*1 画)より「すこしもそとへはでられないよ(少しも外へは出られないよ)」。「猫」は「芸者」の隠語でもあったので、彼女が置屋から出られないことを暗示しているのかもしれない。 *1:作画期は明治2−15年頃