辻占雑記帳

江戸期の辻占菓子 その2(追加)

・江戸期の辻占菓子 その2(「辻占菓子」の章に追加) 退屈しのぎに、歴博の『懐溜諸屑』DBで「豆」と入力して検索してみたら、未確認の辻占豆とおぼしき商標が見つかった。画像が見たい方は、資料番号を添えておくので、直接DBで御覧になって欲しい。 …

江戸期の辻占菓子(追加)

・江戸期の辻占菓子(「辻占菓子」の章に追加) 昨日、国立歴史民俗博物館(佐倉)へ行ったら、第3展示室(近世)がリニューアルされていた。何か辻占に関連する史料はないかと展示をつぶさに見ていたら、『懐溜諸屑(ふところにたまるもろくず)』という天…

東京の辻占占紙 その2

東京の辻占占紙 その2 明治43年6月の『文芸倶楽部第十六巻第八号』に安田善之助が「松の舎」のペンネームで「吉原の露店」という一文を寄せているが、そこに辻占売の集団スリが登場する。詳細は以下の通り。(文章中に一部不適切な表現があるが、言葉に配…

東京の辻占占紙 その1

東京の辻占占紙 その1 一方、東京における辻占占紙の出現時期ははっきりしていない。 明治13年の『團團珍聞第百五十三号』には、「一しきり東京にてあぶり出し恋の辻占と云ふもの流行せしが」という下りがあって、この時期東京で炙り出しの辻占が流行した…

瓢箪山稲荷神社と辻占占紙 その4

瓢箪山稲荷神社と辻占占紙 その4 瓢箪山稲荷神社のやきぬき辻占は、いつ頃発明されたのだろうか?尾崎紅葉の日記『黄梅日録』を見ると、明治36年6月13日に、紅葉が関西方面の新婚旅行より帰ってきた安田善之助(後の安田財閥二代総帥)から「瓢箪山や…

瓢箪山稲荷神社と辻占占紙 その3

瓢箪山稲荷神社と辻占占紙 その3 瓢箪山稲荷神社のあぶりだし辻占は、明治35年の観光ガイドブック『大坂遊覧案内』に「瓢箪山の稲荷社は駅より二里余にあり、あぶりだしの辻占を以て名高きところとす」とあることから、同年には授与されていたことがわか…

瓢箪山稲荷神社と辻占占紙 その2

瓢箪山稲荷神社と辻占占紙 その2 明治初年に山畑阿良美(顕海)が発明した占紙はどのようなものだったのだろうか? 瓢箪山稲荷神社の社報『瓢山 第十八号』(平成8年)には、現在の「おみくじ辻占」と形式、判断項目がほとんど同じの「百年以上前の木版の…

瓢箪山稲荷神社と辻占占紙 その1

瓢箪山稲荷神社と辻占占紙 その1 辻占占紙の成り立ちは大阪と東京とでは大きく異なるため、まず先に出現した大阪の状況から述べる。大阪の辻占占紙には、瓢箪山稲荷神社が大きく関わっている。同社の社報『瓢山 第十四号』(平成4年)で紹介されている現宮…

辻占占紙とは

辻占占紙とは これまでずっと辻占菓子について見てきたが、辻占売の中には辻占菓子ではなく、辻占文句を書いた御神籤のような紙を売る者もいた。ここでは、その御神籤のような紙に対して「辻占占紙(略して「占紙」)」という名称を与え、その成立や普及の歴…

辻占菓子を引く作法

辻占菓子を引く作法 現在、辻占菓子で運気を見る際には、菓子を1個使う場合と3個使う場合がある。先に見た『春の若草』(3月14日)では1個、『花鳥風月』(3月15日)では3個が使われているが、過去の記録やフィクションを見ると圧倒的に1個の方が…

戦中・戦後の辻占菓子

戦中・戦後の辻占菓子 第二次大戦中の昭和17か18年の元旦、辻占紙片の内容を気にしたアベックが易占家・田畑大有の許を訪れている。恵方?詣りの土産に買ったアラレの袋の中に「末は烏の鳴き別れ」とあったので、易で占ってほしいというものだったが、大…

菓子製法書に見る辻占菓子

菓子製法書に見る辻占菓子 これまで特許・実用新案になった辻占菓子を見てきたが、一方で、ノーマルな辻占菓子はどのようにして作られたのだろうか?当時の菓子製法書にいくつか記載があるのでここで紹介したい。(以下、一部内容を補完して記述) 1.『日…

大正以降の辻占菓子その2

大正以降の辻占菓子その2 (6)その他の辻占菓子 ・「小物品入り菓子」(登録実用新案第126499号) 出願:昭和2年1月19日 公告:昭和3年9月29日 出願人 考案者 大阪市天王寺区逢阪上之町八十七番地 村上 齊 干菓子・生菓子に凹部を作りそこに…

大正以降の辻占菓子その1

大正以降の辻占菓子その1 ここでは、大正以降の辻占菓子を、特許・実用新案資料を中心に見ていく。 (1)煎餅 ・「山田式教育辻占煎餅」(実用新案第33810号) 出願:大正3年6月12日 登録:大正3年12月14日 実用新案権者(考案者) 豊橋市大字…

辻占菓子売の受難

辻占菓子売の受難 明治35年を過ぎる頃から、一部の辻占菓子売が消え始める。三谷一馬『彩色江戸物売図絵』によれば、幕末より続いた深川の山口屋の花林糖売がこの頃消えたようだ。また、明治41年9月10日付の『菓子新報』では、「都下 昔あつて今無い…

京阪の辻占菓子売

京阪の辻占菓子売 明治2、30年代の京都・大阪で「辻占売」というと、辻占菓子を行商する者と、辻占の文句を書いた占紙を歩き売りする者の2種類がいたが、ここでは辻占菓子を売る者を紹介する。 1.「げんこつや」 明治27年発行の『風俗画報第79号』…

東京の辻占売(補)

東京の辻占売(補) 辻占豆に引き続き、この時期の辻占入り花林糖について紹介しよう。 正岡子規が『ト筮十句集を評す』(明治三十一年)の中で、こんな評をしている。 長き夜に辻占を呼ぶ旅籠かな 春風庵 旅中長夜のつれづれ辻占売を呼びとめて二銭を投げう…

東京の辻占売

東京の辻占売 明治2、30年代の東京で「辻占売」と言えば、「辻占菓子の行商人」の事を指した。作家の三島霜川は『文芸界』で次のように紹介している。 辻占賣 固(もと)より是は露店とは謂はれぬ。けれども夜商人の一員としては、是非共紹介せねばならぬ…

辻占応用の新製品その2

辻占応用の新製品その2 (9)「蛤の辻占」 米の粉で蛤の形を薄く大きく空洞に作り、中に辻占とそれに見合う小玩具を入れて売る。「蛤のがらがら」ともいい、河竹黙阿弥の『女化稲荷月朧夜』(明治18年)にも登場する。[参照:三好一好『江戸風俗語事典』…

辻占応用の新製品その1

辻占応用の新製品その1 幕末時、煎餅、豆、花林糖、昆布などに添えられていた辻占の紙片が、明治に入ると更に多くの商品で見られるようになる。 (1)「辻うら香」 明治4年12月10日付の『横浜毎日新聞』に東京日本橋四日市の洋書販売店・和泉屋半兵衛が…

銭湯と辻占菓子

銭湯と辻占菓子 明治5年に仮名垣魯文が書いた滑稽本『胡瓜遣』に辻占入りの砂糖豆が登場する。(参照:『明治の文学 第1巻 仮名垣魯文』筑摩書房、平成14年) 「下卑の食乱」は、バイト代を手にした貧乏書生が東京の街を散歩しつつ、様々な食べ物を手当…

劇場と辻占菓子

劇場と辻占菓子 劇作家の岡本綺堂は随筆集『明治劇談 ランプの下にて』(青蛙房、昭和40年)の中で、幼い頃の芝居見物について語っているが、そこに辻占菓子が登場する。明治12年3月9日、新富座での一こまである。 幕の間に、わたしは父に連れられて劇…

辻占昆布の道

辻占昆布の道 明治12年に書かれた河竹黙阿弥の『人間萬事金世中』の中に、辻占昆布の行商人が登場する。 花道より千之助散切鬘(ざんぎりかつら)襤褸装(つづれなり)藁草履にて、辻占昆布の入りし箱を肩に掛け出来り、 千之 「辻占昆布ぢや、板こぶぢや…

開国と辻占菓子

開国と辻占菓子 鎖国から開国へと国策が転換し、欧米との交流が盛んになっていくと、辻占菓子も国際化の波にさらされるようになる。明治8年8月29日付の『讀賣新聞』には、西洋の辻占菓子を入手した者が次のような投書を寄せている。 私が此間西洋の辻占…

江戸以外での幕末維新期の辻占菓子

江戸以外での幕末維新期の辻占菓子 これまでずっと江戸の辻占菓子について見てきたが、この時期、他の地域ではどうだったのだろう? 幕末頃の大阪で作られたとみられる『浪花みやげ』という摺物を集めた本には、昆布を持った女性(写真)を描いた『辻占言葉…

『街の姿』と辻占菓子

『街の姿』と辻占菓子 明治期に活躍した玩具蒐集家の清水晴風は、幕末の行商人の絵姿を『街の姿 江戸篇』(太平書屋、昭和58年)に描き残しているが、その中に辻占菓子を行商する者がいた。 ・辻うら売 淡[路]島通ふ鵆(ちどり)、恋の辻うら、辻うら豆[…

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり5「越後屋清蔵」、他

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり5「越後屋清蔵」、他 今回は、主に人形町通り新乗物町の「越後屋清蔵」について取り上げる。早稲田大学演劇博物館『近世・近代風俗史料貼込帖』に、こちらの店の「新板はうた煎餅」の引札が収録されている。 鶏卵所 新板はうた…

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり4 「清眞堂」と「金澤村井」

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり4 「清眞堂」と「金澤村井」 今回は八丁堀に舞台を移し、「清眞堂」と「金澤村井」を取り上げる。木村捨三の「続々商牌集 其二 遠月堂菓子店」で、大伝馬町の梅花亭と共に遠月堂の辻占煎餅に追随したと名指しされた八丁堀の清…

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり3 「梅花亭森田」

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり3 「梅花亭森田」 第3回では望月堂から更に市中を南下して、大伝馬町三丁目(現在の日本橋大伝馬町)にあった「梅花亭森田」を取り上げる。 木村捨三の「続々商牌集 其二 遠月堂菓子店」では「大伝馬町の梅花亭」、淡島寒月の…

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり2 「望月堂」

幕末維新の辻占煎餅名店めぐり2 「望月堂」 第2回は、遠月堂から見て浅草橋を渡った反対側(横山町三丁目:現在の日本橋横山町)にあった「望月堂」という店を取り上げる。 淡島寒月は、『梵雲庵雑話』(平凡社、平成11年、P.123)で次のように述べてい…